中間領域で融合する状態?ミステリアスなケルト!

「ミステリアス・ケルト」 ジョン・シャーキー著 (平凡社)

以前にも書いたことがありますが、その昔、平凡社か発刊されていた「イメージの博物誌シリーズ」、人間の想い、心理作用、創造力がどのような形で文化として残されてきたのか、それを写真を中心に紹介していた本。私は映画や美術作品もそうなのですが、「イメージ」という言葉に何故か惹かれます。なぜ、そのような表現になったのか?そこに人間の奥深い心の根源的な作用を垣間見ることができる気がするからです。

人はイメージを生み出す動物ですし、イメージを産まなくては生きていけない動物。本能で動くのが動物だとしたら、人はイメージで動く。先日、前澤氏が宇宙へと旅立ったニュースがありましたが、それもイメージのなせる業。前澤氏は宇宙空間に出た時に何を感じるのか、それが楽しみで伝えたいというようなことを発言していましたが、それも根底にあるのは、どこからともなく湧いてくるイメージの力なんだと思います。

「ミステリアス・ケルト」このタイトルを知っただけで、ワクワクしてきます。渦巻文様、組み紐紋様、動物と植物が絡み合いいつのまにか一体化した独特の世界観。それを見ていると根源的なものを感じずにはいられません。下記に本書からの文章を引用しましたが、「中間の領域で融合する状態」「かつての王にして未来の王」この永劫回帰、死と再生の循環構造の思想が、どのような視覚的なものを生み出し、語りかけてくるのか?未分化な状態から分化していき、やがて融合する中間領域。生でも死でもない状態なのか?そんな問いかけを投げかけてくるヨーロッパの埋もれた古層の文化。いろいろな写真をみていても飽きないです。

ケルトの奥義は、光と闇、夜と昼のあいだにある薄明や、雨でも海水でも河でも泉水でもない梅雨や、また草でも木でもなりヤドリギなど、事物が中間の領域で融合する状態において明瞭になる。墳丘からやって来た英霊、「女から生まれなかった男」は。「今は汝の生命をコントロールするものはないから」と告げ、クーフリンに眠りに就くように促す。死と再生の中間領域で英雄は死んでもいなければ目覚めてもいない。アーサーが〔グラストンベリーの〕丘の麓で眠りに就いているように、英雄は、古代の夢の王国の宇宙的な体現者として儀礼的に認可された「かつての王にして未来の王」の状態でいるのだ。(イメージの博物誌18「ミステリアス・ケルト」ジョン・シャーキー著より引用)

本書解説より超ショートにまとめました

天空の神殿・・・

ケルト以前と言われているイギリスやアイルランドの環状列石などの巨石文化は、太陽や星の運行と関係している。ケルトの呪術師であるドルイドも熟知していた。それは地球の季節的周期性に依存して生活していたことの証

■内なる探求・・・

ドルイドの呪術師は、祖霊と交流し生者の代表として、年ごとの再生の儀礼を執り行った。巨石ドルメンは、もともとは死者が埋葬された玄室の名残だろう。石の壁面の上に巨大な盛り土で覆っていたのだろう。

■螺旋の旅・・・

前ケルト人による巨大な墓、そこに刻まれた螺旋を形づくる渦巻線は死にゆく魂の旅が、中心にある玄室の中で安息と再生に至ることを示している。

■原初のエネルギー・・・

男女が有するエネルギーは、宇宙の創造的で有益な源そのもの。陰と陽のエネルギーの源に起こるドラマ性は性的な形をした石やトーテム的オブジェにみることができ、ケルト十字のような力のシンボルになるまで1000年以上かかった。

■聖なる泉・・・

ケルトにおいて重要な役目を果たしていた水の神聖な力は、聖なる泉を敬ういくつかの民間習俗に見ることができる。

■角を持つ者・・・

ケルトの王が催す儀式には、元型としての動物の力を呼び出すためにトランス状態になった呪術師が登場し、雄鹿の神ケルヌンノス=角を持つ者が知られる。

■永遠の存在・・・

ケルト人は人間の頭部に霊力の中心があると信じていた。人頭のテーマはケルトの儀礼や戦争、物語に顕著にみることができる。

■戦士・・・

ケルト戦士が祭具や武器を華麗に仕立て、自身の風貌や装身にこだわり、死を恐れなかったのも、戦士の秘儀を信じていたから。アーサー王伝説にみられるように剣は栄誉の保証だった。

■錯綜した瞑想・・・

ケルト美術にみることができるデザインとして、結び目紋様や幾何学的組み紐紋様があり、植物、鳥、動物、人間のモティーフが、様々に変化し複雑な曲線は、自己の意識の集中を促すものと言える。

■獣の力・・・

ケルトは動物譚に満ちている。呪術師と動物が一体化するという心理的性的本性は、祖霊と動物とが一体化であるという考え方を示唆している。

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