ケルト研究の第一人者・鶴岡真弓氏のテキストは知的な刺激に満ちている

「ケルト美術への招待」鶴岡真弓(ちくま新書)

鶴岡真弓氏はケルト芸術の専門家として知られ、ケルトに関する著作も多数。鶴岡氏の書籍を読むと、とてもわかりやすい上に、言語感覚が鋭いというか研ぎ澄まされた感じを毎回感じています。なので、最近読み始めたわけですが、この手のジャンルの先生の数ある書籍群においては、好きな研究者の一人と言えるかと思います。この「ケルト美術への招待」も、その文化があらわれたハルシュタット美術から、ケルト様式とでも言えるものを完成させたエア・テーヌ美術、それを受け継いだガリア美術の大陸のケルトから、アイルランド、スコットランドをはじめとする島のケルトへの言及が鮮やかだなと思うのです。

そこで、鶴岡氏のテキストを引用し、それに関する補足を書いてみました。

ものの質感や色彩やフォルムを、可能なかぎり微細・極小のなかに拡大し、″細部″の存在を強調して、ある生成的な運動のミクロコスモスを現出させようとする。⇒ケルズの書でもケルト十字の装飾でも、とにかく細かくそれは縺れ合い複雑な形をしているため、眼を近づけて見ていかないとどうなっているのかがよくわからないケルトの特徴を説明しています。

人間とか動物とかいう、一定の意味と外観を与えられた存在に個性を放棄させ、かつてどこにも存在しなかったもの、しかも二度と同じ組み合わせでは現れないものを生み出してくる。ここでは「人間は」、形象のカオスを構成する一要素にすぎない。⇒ケルト美術の特徴として、人間も動物も装飾の一つであり、それが装飾という枠組みを超えていき、さらには用途性を超えて過剰に肥大化している、その奇妙な様子を書いています。

形態の「有機性」、妖しくエロス的な軌跡を描く「曲線」の創造である。動物の生態をよく知り、鋭敏で瑞々しい生きもののからだを感得できる人間の手によって初めて表現可能な形態―成長しつつあり、何ものかに成ろうとする、変容過程のかたちの明である。⇒生命と象徴としての渦巻、生命は常に変化変容し、そして転生していくケルトの生命観を曲線の多用の中にみていく解釈が素晴らしいと思います。

人間のかたち/人像、つまり人間存在を、世界の中心に据える世界観や、それを美学的な規範とする観念が不在だということである。⇒ギリシャ・ローマの芸術表現はいかに理想的な人物を描くか、神々は人間の似姿をしているというヨーロッパ文化の中心に対して、反・人像主義のケルトを逆説的に説明しています。

文字言語によっては歴史を伝えなかったケルトというヨーロッパの文化集団の、「かたち」の伝承の驚くべき持続性を表している。紀元前500年からおよそ千年以上、長大な時空間を貫いてきた装飾の意思は、ケルトの世界観を垣間見させるだろう。⇒中央ヨーロッパで勃興したケルト文化がヨーロッパ各地に広がるもローマ帝国の進出により消滅、しかし、それはアイルランドの文化と融合した、その千年の歴史を短い文で想起させてくれます。

内に向かう求心的な運動と、外にひらかれていく遠心的な運動が、渦巻の自己分裂と自己増殖に牽引されて展開している、宇宙大の極大な」スケールが極小の渦巻空間に現出するさまは目眩を誘う。⇒世界で最も美しい本といわれているケルズの書をはじめとする装飾写本の渦巻や組みひも、動物や人間が返照していく、中心点を見つけるのも苦労する過剰な意匠に対しての説明は同様に言葉の芸術とも感じます。

(※太字部分「ケルト美術への招待」鶴岡真弓・著/ちくま新書より引用)

このようにとても知的刺激に満ちた文章を書き、私に投げかけてくるのが鶴岡真弓氏のテキストといえるのでした。

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