イスからひっくり返るな、カフカ&ハネケの「城」

「城」(1997年)

■製作年:1997年
■監督:ミヒャエル・ハネケ
■出演:ウルリッヒ・ミューエ、スザンヌ・ロタール、フランク・ギーリング、他

フランツ・カフカの長編小説「城」。この作品は未完であり、どのような結末になるかわからないまま突然に終わります。測量士Kは城に雇われたと、城のあるとある村にやつてきたのですが、こと住人に関して、Kとうまくコミュニケーションができないというか、まるで住んでいる世界が、価値観が違うというばかりに、すれ違い、掛け違いの連続になり、そもそも村を支配している城は存在するのか?城とはいったい何か?思考を停止して、向き合うしかないような、とても奇妙な小説です。

その「城」をドイツの映画監督であるミヤエル・ハネケが映像化しています。ハネケ監督の作品は、骨太で見る者の心の奥底に深く訴えてくるアート性の高い映画が多いので、どんな感じなのかなと、思っていたら、とてもびっくりさせられたのでした。

私はカフカの「城」を読んでいて、どうも煮え切らない中途半端な気持ちになり、なかなか前へ進みませんでした。そこへきて突然、すべてが解決せずに中途半端に終わってしまう。そんな小説をハネケはどう描いたのか?と、興味があり、作品を見たのですが、こちらもびっくり、カフカの小説同様、村人とKのすれ違いなど、原作に忠実に描いているのですが、小説同様、カフカの小説はここで終わっているとテロップが入り、映像が突然終了してしまうのです。たしかに原作も中途半端に終わっているので、それは、そのとおりでしょうがないともいえるのですが。この「えっ?」と言いたくなるような、演出には驚きました。

ハネケの「城」は、テレビドラマとして作られた作品なのだそうですが、カフカの小説同様、このような中途半端な展開になるとは、思いもしませんでした。テレビを見ていたドイツの視聴者も、びっくりして、テレビの前で、ひっくり返ったのではないでしょうか?突然の終了こそ、もしかしたらハネケの狙いがあったのかもしないと考えたくなります。物語のあるドラマになれている我々にとって、この奇妙な終わり方こそ、人と人との断絶を象徴しているのかもしれません。ちょうどKが歩みよっているものの、違う掟に縛られている住人である村人たちと断絶しているように、映像と視聴者の断絶、本と映像の断絶を象徴しているのかのようです。

Kと村人たちに、言葉は通じるのです。言葉が通じない場所にKは、来たのではないのです。しかし、行動規範、思考規範が違うことによって、Kは否応なく、巻き込まれて向けだせなくなっています。それは、無意識に縛られている掟の不気味さをあらわしているかのようです。クラムという城側の人間の存在が示唆されるものの、クラムは実在する人物なのかということも疑わしい。

私は、城とか、クラムという存在を考えたとき、日本人における天皇の存在と、それに重きをおいている日本人を欧米人がどう見ているのかな?なんてことを考えてしましました。

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