「日本沈没」は、我々はいったい何者なのかを問いけるテーマ
「日本沈没」、小松左京のSF名作小説。それを映画化した2本の映画を観ました。ただ、現在放送中のTVドラマは見ていません(いや、ちょっと見た程度)。そのうちの1本は、藤岡弘といしだあゆみが主演した映画「日本沈没」(監督:森谷司郎)は、1973年の公開なので、私が12歳の時でした。その翌年にはテレビで村野武範と由美かおるが主演したドラマも放送されていたので、子供の私としてはかなりのインパクトが残っています。この’73年公開の作品は映画館で観たので実に48年ぶりということになります。この’73年は、オイルショック、ノストラダムスの大予言の映画公開があり、それがもしかしたら現実の世界になるのか?なんてことも考えていたかもしれません。
そして草彅剛と柴崎コウが主演した2006年公開の映画 (監督:樋口真嗣) 。こちらは’73年版と比べると設定が変わっています。原作に忠実なのは’73年版、’06年版は柴崎コウが警察レスキュー隊隊員という役柄で、男勝りとも言えそうです。’73年版では男ぶりが溢れている藤岡弘なので対照的な気がします。時代を反映しているというか、男っぽい男というのが流行らない時代だったとも言えそうです。大地真央が政府を代表して終結宣言を出したりします。この映画の前には阪神淡路大震災がありました。そして’06年公開後から5年後、あの東日本大震災が発生・・・。
この「日本沈没」を観ていて思ったのは、自分が住んでいる土地が海の底に沈んでしまいなくなってしまうということの恐ろしさ。国土が無くなった民はどうなるのか?そうなったとき日本民族はどうなるのか?といったことです。そこですぐに頭によぎったのはユダヤ人。ユダヤ人はパレスチナの地、ローマと闘いマサダで敗れ、世界中に雲散することになりました。以後、2000年間、流浪の民として、各地で差別的待遇を受けたり、ホロコーストという未曽有の危機を経験したり、迫害を受けてきました。よくユダヤは金融資本を牛耳っていると言われているのですが、逆の見方をすると、シェイクスピアの「ベニスの商人」を見るまでもなく、その昔、金貸しは卑しい仕事として差別されユダヤ人が従事するしかなかったということ。
2000年もの間、ユダヤ人が世界でチリチリバラバラになりながらも、その民族性を失わなかったのは堅固に彼らの宗教であるユダヤ教の教えを守ってきたこと。そうした歴史が、70年前にイスラエルの地を与えられたユダヤ人が、今度こそは国を守るというか強い意志で、現在のイスラエルを築いたということになるでしょう。
果たして、世界で一番古い国である日本が、国を捨てなければならない状況になったとき、日本人はどうその困難に立ち向かっていくのだろうか?日本人のアイデンティティとは?日本人とは何か?そんなことを考えたのでした。原作を読んでいないのでなんとも言えないのですが、小松左京は日本が沈み各国に散っていくところで終わっているそうなのですが、「第一部終了」と記したそうです。そこからどうなっていくのか?あまりに壮大なテーマゆえ、二部を書くことなく生涯を終えたと言います。「日本沈没」というスケールのでかい、そして、問いかけることも多い小説を書いた小松左京、私はその原作を読んでおりませんが、昭和の骨太なSF作家だと思いました。