国宝「阿修羅像」、美少年の苦悩と輝き
奈良の興福寺の阿修羅像に会ってきました。
思ったより細身の体と腕、3つの顔と6本の腕の異様な姿にもかかわらず、人を惹き付けてやまない阿修羅像。その魅力はやはり思春期と思われる青年の顔にあるのではないだろうか?渡来系工人将軍万福らが制作したとされる八部衆の一人がこの阿修羅になります。
2009年に東京国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」には、約94万人もの入場者があり、日本美術の展覧会としては史上最多の入館者数だったそうで、私も見に行きましたが大変な混み具合だったのを覚えています。
この阿修羅は、八部衆をはじめとする他の仏像とはその様相が違い、冒頭にも書いたのですが、少年から青年へと成長する時のような若者の顔を持つ人気のもの。好みからいうと阿修羅は真正面から見るより、やや右斜め正面から見るのがいい感じ。阿修羅の6本手が微妙な感じで奥行きと広がりを持った空間を構成し、まるでオーラかバリアを放っているかのように周囲の空気を支配しています。
華奢でスリムな胴体とその上には何かこう根源的なものに向き合い問いかけているかのような強い眼差しながらも憂いの表情も感じさせる正面の顔に感じます。しかし、これが斜めだと正面からみるとのはまた違った風にも感じるのですが、それとやや上に位置している右側との顔が絶妙なバランスで位置して見えているところが、なんとも魅力的なんですね。
阿修羅とは元はインドの神で「アスラ」であり、「インドラ(帝釈天)」と戦い続ける戦闘の神で、これがなかなか帝釈天に勝てずやがて、釈迦の教えに帰依し仏教の守護神となり、同じく会場で展示されていた「八部衆」となった。この戦う苦しみはカルマであり、前世の行いによって転生する因果応報の六道輪廻においては、天上、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄とされ、修羅場とはこれに由来する。
だから通常の阿修羅像は牙が生えた鬼のような憤怒の相なのですが、この興福寺の阿修羅像はそれとは全く対照的な、華奢で争い事など嫌う少年とも、青年とも、はたまた少女にも見えるような神々しい姿となっているのです。この奇跡のような造詣が、かつてない人気を呼んだのだと思います。
文学者はこの阿修羅像をどう見てていたか?
●司馬遼太郎・・・興福寺の阿修羅には、少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている。眉のひそめかたは自我にくるしみつつも聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。
●白洲正子・・・蜘蛛のような細く長い六臂の腕も不自然ではなく、見る人にまつわりつくように色っぽい。普通の忿怒相とはちがい紅顔の美少年が眉をひそめて何かにあこがれる如く遠くの方を見つめている。
●亀井勝一郎・・・阿修羅像は、正面の顔をみると美少年だ。しかし眉をよせ、額にしわをよせていらだつような神経質な表情をしている。この像は或る物語の象徴化にちがいない。阿修羅像とは阿修羅劇の表情にちがいない。
顔学の専門家・元東京大学教授の原島博氏によると阿修羅の顔は、正面の顔をコンピュータで眉をあげると悲しそうな顔に、その眉を下に下げると怒ったような顔に見えてくると。つまり正面の顔は、悲しそうにも怒っているようにも見えることにより、見る人にとって違った表情に見えてくるというのです。
続く左の顔は下唇をかみしめています。そして目じりや眉が上がっており怒っていると。つまり怒りながら下唇をかみしめるのは反抗とかくやしさを表している。
最後の右側の顔は全体に目や鼻、口の位置が内側によっています。この内側によった顔は悩む顔、内面を志向した顔であるとします。事実、正面の顔と比べるとそれらの部位は内側にあり、顔の傾きも俯き加減です。つまり苦悩の中にあるというのです。
そして面白い指摘は、それらの顔における目の位置。左⇒右⇒正面という順番で目の位置がだんだん上にあがってきているということ。
そこには人の成長過程との一致が見られるというのです。つまり、阿修羅の顔は左顔=子ども、右顔=思春期、正面顔=青年という人生の成長過程を表しているのだと。なるほどね。そこまで計算して作ったのだろうか?
2009年の東京国立博物館の展覧会以来のご対面。さすがに悩める青年美男子にも似た人気の仏像は、仏像を越えて人類史的な遺産と言えるのではないでしょうか?