瞳にためる涙が切ない・・・「さよなら子供たち」

映画「さよなら子供たち」(1988年)

■監督:ルイ・マル
■出演:ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト、他

ルイ・マル監督の自伝的映画と言われている「さよなら子供たち」。勝手な憶測、私の希望ですが、監督にとって、どうしても作りたい、忘れざる想いが、あったからなんとしても実現したいから作ったと思いたい。映画があまりに素晴らしいので、そう思いたいわけです。

舞台は1944年、ナチス占領下のフランスのカトリック寄宿学校。主人公のジュリアンは、読書が好きで、時に反抗的で、母親が恋しくて、時におねしょもしてしまう。将来は聖職につきたいと思っている。そんな彼のもとにボネという転校生がやってくる。最初は関係がぎこちないものの、徐々に打ち解けていく。

ジュリアンの心をひきつけたボネはユダヤ人だった。しかし、ジュリアンはユダヤ人が毛嫌いされているということは知っていても、それ以上のことは、まだ子供だから知らない。話していくうちにボネは父親、母親との連絡が途絶えてしまっていることを知る。迫害の手がすぐそこまで来ていることが、会話の中でわかる。こうしたさりげない会話で、おかれた境遇、運命の違いを感じさせるところが、見るものはジュリアンの視線になっていく。ルイ・マルの演出が、実にうまいと思う。

子供たちは相手がユダヤ人であろうとフラットな関係性を築いている。子供らにはユダヤ人ということは、無用なのだ。寄宿学校の神父らは、迫害されているユダヤ人の子供たちを匿っていたのだ。しかし、ナチスの手は寄宿学校にまで延びてきた。

この映画では、忘れがたい場面が2つあります。それはナチスが子供たちの教室に入ってきて、ユダヤ人の子供を連れだそうとしたとき、ジュリアンは心配になりボネの方を一瞬見る。それを察知したナチスは、ボネをユダヤ人として連れ出してしまう。この微妙な演出が胸に刺さります。

そしてかくまった神父が、匿っていたボネ含む3人のユダヤの少年が連行される場面。神父は「さよなら子供たち、また会おう」と言うと、子供たちもサヨナラの連呼。ナチスに連れ去られたボネを見送るジュリアンはサヨナラの手を挙げることしかできず。瞳いっぱいに涙をためる。ジュリアンは涙を流さない。忘れがたくいつまでも心に残るシーン。

そしていま今、多くのガザの子供たちが涙を流している。子供たちに罪はない、悲劇は絶対に繰り返してほしくない。

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