静かな想いが心を打つ「神々と男たち」

映画「神々と男たち」(2010年)

■監督:グザヴィエ・ボーヴォウ
■出演:ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、オリヴィエ、ラブルダン、他

2010年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した映画『神々と男たち』は、派手な演出を一切排し、静かにし深く胸に刺さってくる作品です。
まず、私が言っておかねばならないのは、私はキリスト教徒でもなく、イスラム教も信仰していないので、宗教と言う点で部外者であるということ。その立場からの勝手な感想であるということです。

物語は1996年、アルジェリアのアトラス山中の小さな村で暮らすフランス人修道士7人が、イスラム武装勢力に誘拐され殺害されたという実話に基づいています。修道士らは小さな修道院でイスラム教徒の村人たちと共に暮らし、無償の医療や生活支援を行いながら、慎ましい日々を送っていました。言葉も信仰も異なる人々と肩を並べ、互いを尊重し合い、祈りを重ねながら生きる——その時間は、静かでありながらも確かな意味を持っていました。

しかし、国内情勢が悪化し、イスラム原理主義武装勢力の暴力が村にも及びます。修道士たちは「ここに残るべきか、去るべきか」という究極の選択を迫られます。命を守るために退避するのか、それとも死を覚悟してでも村人たちと運命を共にするのか。

この事件の背景には、暴力や宗教対立だけでなく、もっと長い時間の影が落ちていることも忘れてはならない。かつてフランスはアルジェリアを植民地化し、言語・教育・宗教までも変えてしまった。ある意味で歴史の、時代の暴力が、その底流にながれています。土着の文化と精神は大きく揺らぎ、その後のアルジェリアの独立戦争、独立後の一党独裁によるイスラム化、そしてイスラム原理主義の台頭へと続く歴史の連鎖がありました。歴史に、たらればは、ないもののフランスの植民地支配がなかったとしたらこの事件は起こりえたのか?

ところで、この殺害事件、実はその真相はよくわかっていないという。武装勢力に偽装したアルジェリア治安維持隊によるものだという陰謀的な話もあるようなのだ。いずれにせよ、長い時間の影というものなしで考えることはできないというのは間違いないだあろう。

キリスト教もイスラム教も、もとのルーツをたどればユダヤ教にいきつくわけだから、呼び方は違えど、同じ神を信仰しているということになる。宗教と暴力、宗教と政治ということは切っても切り離せない問題がありますが、この映画の祈る場面がとても印象的なように、祈りが大切なような気がする。祈りの行為は、形式は違えども、人類共通の行為だから。この祈りの本質にこそ、人間の尊厳や平和というものが、あるように思います。

『神々と男たち』は、植民地支配の影や宗教と政治の複雑な関係を背景にしながらも、祈りの力を通して宗教、政治の枠を超えて人間の尊厳と共存の可能性を考えさせてくれる映画です。

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