遠野に伝わるお化け話を聞き書きしたことが・・・
『「遠野物語」を読み解く』石井正己(平凡社新書)
有名な「遠野物語」は、明治41年、柳田国男は小説家の水野葉舟から、昔話ならいくらでも知っている珍しい男がいると遠野出身の佐々木喜善を紹介されたことから生まれたのがきっかけ。
佐々木は遠野に伝わる話を「お化け話」と呼んでいたようですが、それを聞き書きし柳田はその時に「遠野物語」というタイトルをつけたました。柳田にとってみればそれは地方の発見であったということになり、民俗学の代表的な本になるわけですが、タイトルもとてもよかったんだと思います。
佐々木は訛りがひどかったみたいですが、柳田はそれを文語体に直し民俗学の歴史的な書物となる「遠野物語」を完成させたのでした。ここは柳田の編集能力の才なのか。
「遠野物語」が世に出た時を考えると、それは妖怪がまだまだ跋扈した江戸時代から続く流れよりも、近代へと進む昭和の方に近い時。つまり迷信などを排除していこうとする近代化の現在進行形、真っ只中の時代であったのですが、遠野に住む村民にとっては、まだその地には身近な存在として妖怪の類がいたということです。日本が近代化を進め列強の仲間入りをはたそうとする時代に、東北の奥地の盆地にはザシキワラシや河童、天狗らは、まだまだ、そこにリアルで身近なものとして生活にとけ込んでいました。
しかし、一方で遠野は陸の孤島なのではなく、江戸=東京とも密接に結びついていたようで、それは遠野の話にも都市部(=江戸)の妖怪話の変形がそこには反映されているとのこと。交通により都市部の情報が入っても、遠野という場所に入るとそれは、その地んの中に溶け込んでいく?この本による解説を読んでいると、奇っ怪な話、不思議な話などを語り伝える口コミの根強いネットワークが遠野の地にはあったそうです。
この「遠野物語」は柳田国男の代表的な書物に違いないのですが、一方で、語り部であった佐々木喜善による功績も大きいでしょう。柳田は目のつけどころがよかった?彼と出会わなかったら柳田は「遠野物語」を出すことはなかったわけですから。
その佐々木ですが、宮沢賢治や折口信夫らとも交流があったようで、キラ星のような才能が同時代にあったわけです。
この新書本の目次(章立て)は以下の通り。
序 章 小盆地宇宙の構造
第一章 『遠野物語』の発刊
第二章 神々の呪縛
第三章 精霊の楽園
第四章 霊魂の執着
第五章 動物との共生
第六章 現代伝説の誕生
第七章 日本のグリムの偉業
第八章 童話への回路
第九章 祝福と鎮魂のテクスト
終章 人類史学への提言