スーパーナチュラルな存在「大魔神」

私が物心ついた子供の頃の映画館の大スクリーンで見た映像体験は、ガメラと大魔神、そして妖怪でした。自分では買い物ひとつできない子供ゆえ、なぜ大映映画の特撮作品が多いのかわかりませんが・・・。

で、この大魔神ですが、当時5歳の子供にとっては、インパクトが強すぎる存在。私の無意識の中で、擬人化された神、人格神というイメージと大魔神はどこかで回路が映画により直結されてような気もします。そのくらい大魔神のイメージは強烈です。大魔神の怒りは、イコール、自然の猛威であり、忿怒の相が青い色をしているというのも、ドキドキさせられます。

もし、窓を見たらヌーッと怒った青い顔で巨大な像が出てきて、こちらをにらんだらと想像するとビックリして腰を抜かしてしまうでしょう。

<大魔神メモ>

★大魔神は、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画「巨人ゴーレム」(’36年)から着想を得て作られた。このゴーレムとはユダヤ人虐待から守ったチェコの巨大な土人形伝説の話
★大魔神は、2作目ではモーセが出エジプトしたのを描いたセシル・B・デミル監督の映画「十戒」のように海が割れて登場する。ここにもユダヤの影響を見ることができます。
★大魔神が祀られているところは鳥居が建っていたりと神道の宗教世界であり自然と一体化している。
★大魔神の正式な名前は「「阿羅羯磨(あらかつま)」という神。
★神道では偶像崇拝はないのだが、魔人の姿は剣を腰にさした武人の神として鎮座している。(一応「神像」というものはありますが)
★しかし大魔神の石像はかりそめの姿、実は実体がない
★大魔神は、3作目の冒頭でも顕著に表現されているように、大自然の荒ぶる神。
★つまり大魔神は、サムシング・グレートな存在なのである。
★しかし大魔神は時に乙女の涙や純真な少年の願いに弱くえこひいきをする神様でもある。
★大魔神を演じたのは、橋本力さんという元プロ野球選手(毎日オリオンズ)の方。

大魔神」(1996年)

■製作年:1996年・大映
■監 督:安田公義
■主 演:高田美和、青山良彦、藤巻潤

日本特撮映画史上で特異な光を放っている「大魔神」。この映画が公開されたのは1966年とある、私が5歳の時である。その時の記憶によると併映として「ガメラ対バルゴン」も上映されていたように思う。大魔神とガメラ、大画面で見るバーチャルな体験、それは幼き私にとって強烈なインパクを残すことになったし、また私の無意識のイメージの源となる深層部分のデータベースに大きな位置を占めている違いないのです。

というのも5歳の男の子にとっては映画の物語は少々難しかったのですが、断片的に映像が頭に焼き付いており、それがカラーでありありと記憶されているからです。その可愛かった?私に印象づけたシーンとは

1.埴輪状態で眠っている?鎮んでいる?神像(=大魔神)を破壊しようと、その額部分にクイを打ち込むと、そこから血が流れ落ちる場面

2.おなじみの埴輪の顔から憤怒の相に変身するシーン(これをまねて大魔神ごっこをしたものだ)

3.大魔神の額に打ち込まれたクイを悪徳城主に怒りの串刺しにする場面

4.お姫様(高田美和、当時から色っぽい)の涙が大魔神の足元に落ちると魂が抜け、崩れ落ちてしまう場面

大魔神」を再見し、やっぱりそこが一番の見所と思いました。そしてあの重厚な音楽と共に私の心は子供に戻ったようにワクワクドキドキしたしたのです 。一人誰も見ていないお風呂場で大魔神に変わる部分をやってみる私・・・(笑)

大魔神怒る」(1966年)

■製作年:1966年、大映
■監 督:三隅研次
■主 演:本郷功次郎、藤村志保、他

この作品も幼少期に観ています。(3作品ともリアルタイムで観ています)第1作を観てすっかり大魔神のインパクト&魅力にすっかりとりこになった私は、埴輪の相から憤怒の相に変貌するあの有名な?ポーズを真似た遊び(大魔神ごっこ)をやっていました。モチロン顔の表情も眉毛を吊り上げ口はへの字に変えてです。

そして第2作目「大魔神怒る」を観たとき、オッと思いました。大魔神が両手を使って変貌したからです。片手バージョンから両手の最新バージョンを知ったからには、観たその夜から、さっそく大魔神ごっこは両手を使ってその様相を変えるバージョンに変更することになったのです。今思えば仮面ライダーの返信ブームの先駆け?

ところで1作目同様、この映画は幼少時に観ているのでストーリーはよく理解できていませんでした。しかし、強烈に記憶に残ったのは、モーセが出エジプトする映画「十戒」のように、海が真っ二つに割れて大魔神が仁王立ち。そしてドシンドシンと地響きを立てて歩いていく場面です。なんとスペクタルな展開でしょう、今観ても鳥肌が立ってきます。

大魔神は目の前の障害物を破壊しながらゆっくり歩いているだけなのですが、自然を自在に操る凄さ、その異様な姿と共に神の怒りというもののビジュアル化のイメージを受付けられたように思います。大魔神は大自然の脅威そのものなのです。

「大魔神逆襲」(1996年)

■製作年:1966年、大映
■監 督:森一生
■主 演:二宮秀樹、堀井晋次

大魔神3作目は吹雪、地震、嵐と荒れ狂う大自然の脅威が大魔神の映像と共に重なり、まさしく大いなる自然そのもであるということが冒頭に表現されます。そして特撮映画も3作目となると、ターゲットは子供ということで、より子供向きの仕上がりとなっています。

主人公は端正な顔立ちとキリリとした声で印象的な二宮秀樹君。私らの世代には「マグマ大使」のガムでおなじみの子役です。(1作目にも出ていました)前2作では大魔神に祈願するのは女性でしたが本作品は、二宮君です。強く生きなければならない少年は涙は見せません。その代わり我が身を捧げ谷へと飛び込みます。生贄の精神。(大魔神は雪の中に埋もれた彼を助けるので子供の味方)

物語の展開はまるで「スタンド・バイ・ミー」を連想させるような少年のミニ冒険ものです。男の子は好きなんですね、こういった冒険が。一種のイニシエーション(=通過儀礼)のようなものです。

今回の大魔神の目玉は腰に下げた剣を抜くところです。大地に突き刺すと地割れし、お決まりの悪党城主に一突きトドメをさします。大魔神の連作を観ていて思うことなのですが、画面に映し出される自然がとても美しいんです。こんな風景日本にあったの?と。

筒井康隆「大魔神」(徳間書店)

あの小説家・筒井康隆氏が「大魔神」の映画化を想定しシナリオを書いていたのはご存知でしたか?ネットで「大魔神」を検索しているとその記述を見つけ、購入することができます。

手元に届いたその本は、大魔神づくし。まずカバーに寺田克也氏の、そのカバー裏にも菅原芳人氏の、本の挿絵には沙村広明氏の、そしてなんと帯の裏面にも唐沢なをき氏の大魔神のイラストが描かれており、いやー凝ってるつくり。大魔神は強烈なキャラクターだけに、クリエイター達を刺激するのでしょうか。あるいは根強いファンが多いのかなと。

さて筒井版「大魔神」の設定は、講(ねずみ講)で私腹を肥やす悪党がおまけに武器の密売、それを内偵する隠密・・・。どうだろう映画化されたとしたら、ちょっと子供には難しすぎないかと心配しながら読み進める。

「大魔神」はお涙頂戴、勧善懲悪、水戸黄門&必殺シリーズもしくは力道山怒りの空手チョップのパターンであるわけなのだが、筒井版ではその辺りが弱い気がしました。つまり、そこに民衆の嘆きと救いを求める純真無垢な乙女の願いがあまり感じられませんでした。(正直言って)

Follow me!