魑魅魍魎が跋扈する「百鬼夜行」

魑魅魍魎たちが跋扈する百鬼夜行絵巻、他の絵とは違う魅力を感じます。それは私にとっての妖怪絵巻の原点は子供の頃、映画館の大スクリーンで見た映画「妖怪百物語」のラストシーンにあります。妖怪たちが踊りながら進んでいくパレードの場面です。とても幻想的な映像で、子供心に胸をワクワクさせて見た記憶があります。

私にとっては最も秀逸な映像のひとつとして深く刻み込まれましたし、その後のなんとなく幻想的なものに惹かれてしまう志向性もそれの影響があるのかもしれません。そしてその映画のラストシーンの創造の源にあるのが「百鬼夜行絵巻」であると言えるのです。

「百鬼夜行絵巻の謎」小松和彦(集英社新書ビジュアル版)

民俗学者として名高い小松和彦による「百鬼夜行絵巻の謎」です。本の内容は、それまで数ある「百鬼夜行絵巻」の中で土佐光信の筆とされ室町時代に描かれた真珠庵本呼とばれているものが、その本流にあるとされていたのですが、新しい「百鬼夜行絵巻」の出現によって、その学説をくつがえすことができるのではないかといったもの。研究者としてはそうした話はとてもスリリングなものであるのでしょうが(その興奮は読んでいても伝わってきます)、私のレベルにおいては、そうしたことまではあまり関心がわかなないのが正直なところです(笑)むしろ描 かれている図像の謎解きの方が面白かったりします。

実際、新しく発見されたとされる日文研本の絵の中の後半部分において、相当謎なスペースを割いて描かれているまるで西洋のサタンのような黒い影の妖怪が気になります。私はその妖怪をみると想像力が飛躍し、まるで映画「妖怪大戦争」の西洋対東洋のようではないか、何てことを思うのであります。強力なパワーを持った西洋の悪魔が日本に飛来してきた。百鬼夜行する日本の妖怪たちは、おどけながら陽気に徘徊しているのだけれども、近づく暗雲に気づく様子もない…。勝手なことを書いていますが、それほどにこの黒い影の妖怪はインパクトがあるなと感じます。

この本は「百鬼夜行絵巻」系譜学の検証なのですが、別の視点も入っています。なるほどなあと思ったのが以下の見方です。狐や兎、蛙など頭や四肢を持たない魚介類や器者たちが擬人化されるとその時点で幻想度が高まり妖怪とみなされたのではないかということ。そう言えば子供の頃に妖怪ブームがあったとき(50年以上前のことです)、落書きで想像力により<器お化け>を描いていたな~ということを思い出す。それはまさしく手が生えており、足があり、目も口もある妖怪の姿だったはずなのです。

「画面百鬼夜行全画集」鳥山石燕(角川ソフィア文庫)

この鳥山石燕については、京極夏彦の「妖怪の理 妖怪の檻」の中でも触れられており、そこでは「石燕の仕事なくして“妖怪”はなかった、といっても過言ではありません。…『画図百鬼夜行』シリーズは、土佐派や狩野派に代々受け継がれてきた、伝統的な“化け物”の絵を集大成し、“妖怪”キャラクターのお手本として、後生の“妖怪”デザインに多大な影響を与えた作品です。」(以上、角川文庫版より引用)とあり、現代の妖怪のイメージの源流に位置する人であることを紹介しています。

私たちの妖怪というイメージを決定づけた水木しげるの絵も、実は鳥山石燕の図像を参考にしています。それゆえか鳥山石燕の画集を見ると、水木しげるのゲゲゲの鬼太郎に親しんでいたこともあり子供の頃から知っている妖怪の絵を見ることができ、どこか懐かしいような気分にもなります。

澁澤龍彦のエッセイ「付喪神」から

『陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出して、路次に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。これすなはち百年の一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり』(「付喪神記」)

博学にして私にとっては驚異的な存在である澁澤龍彦が、「百鬼夜行」について書いているエッセイがあります。「思考の紋章学」にも収められている「付喪神」がそれ。まず澁澤は、花田清輝の「室町小説集」の中の百鬼夜行の部分をを話題に出して思考を進めて行きます。そして上記の古文書「付喪神記」の冒頭を引用しながら、花田はそれについて唯物論的な解釈をとっているが、むしろフェティシズム的解釈であるとするのです。

この「付喪神記」が書かれた室町時代は、地獄の形而上学なる観念は、前の時代の鎌倉時代で崩壊してしまい地獄の観念は希薄化していたと。その空虚に乗じて押し寄せたのが「物」の巻き返しであり、それが「付喪神記」であったり「百鬼夜行絵巻」などに見ることができると澁澤は云うのです。ここで澁澤はフェティッシュという言葉を、生命を吹き込まれた物体という意味で使用していることを明らかにしながら、古代においては、そこらじゅうがフェティッシュだらけであったのに、時代を経るにつてれ物質文明化が進行しフェティッシュの数が減ってきてしまった。つまり物体に宿っていた霊魂の行き場所がなくなってきてしまい、新たな宿として道具なるものがクローズアップされたんだとするのです。つまり道具は自然の代替物、第二の自然なんだ、だから容易にフェティッシュになり室町時代の器物のお化けはそうしたものだと論をすすめるのです。

さらには西洋のボッシュやブリューゲルの絵画に言及し、当時のフランドルの画家たちは、先の地獄の形而上学の崩壊後の物の巻き返しと同様に、宗教の束縛を脱していて、目に見えない形而上の絵解きではなく、目に見える地上の具体的なものを描こうとしていたのだと。彼ら画家たちの物を見るまなざしは、やがて物の内部に宿る霊魂を生動せしめるほどのものであったにちがいないとします。澁澤は、そこにおいて彼等は何よりも物を愛した人間であったと確認をします。

そして澁澤は、三島由紀夫の小説「金閣寺」を引き合いに出し、金閣寺を焼いた主人公がそれを焼かねばならぬという想念に襲われた時、「付喪神記」の冒頭の文章を思い出したのは暗示的であると書いています。主人公は金閣寺は愛するがゆえに焼かねばならない、煤払いの古道具、つまり付喪神であったというのであります。

『それは自然界に偏在して、いろいろな物体の中に入ったり出たりする霊魂、神に似て階級の低い、小さな庶物の精霊にふさわしい世界だった。このような観点から見るならば、百鬼夜行とは、精霊的な自然の無秩序の別名であるかもしれないのだ。自然そのものが、百鬼夜行と言えるかもしれないのだ。』(澁澤龍彦「付喪神」より引用)

最後に澁澤はルイス・ブニュエルの映画「小間使いの日記」を引き合いに出し、女物の靴のコレクションやそれをはかせて目を輝かせる老人のエピソードを語ります。これこそ現代のフェティッシュに違いないのですが、どうも話の展開が落ち着かない。澁澤はこんな風に筆を終わらせています。『たとえ百年を経なくても、この長靴は、女の足を包みこむと同時に、一瞬にして化して精霊を得たのでもあろう。これをも付喪神と呼ぶべきかいなか、私は知らない。』(澁澤龍彦「付喪神」より引用)

「百鬼夜行の世界」展

その「百鬼夜行絵巻」、夏場の展覧会で開催される妖怪展に行くと必ずといっていいほど出品されています。その「百鬼夜行絵巻」のみをテーマにした展示が10年以上前に2ヶ所(千葉県佐倉市・国立歴史民俗博物館と東京都立川市・国文学研究資料館)で開催されていて、私はいずれも見に行っているのでした。2ヶ所もとは、10年前の私を振り返ると熱心だったなと笑えます。

そこで見つけたのが、百鬼夜行に遭遇したときに唱えればいい呪歌というのがあって、それがこちらなのです。

「カタシャヤ。エカセニクリニ。タメルサケ。テエヒアシエヒ。我シヒニケリ」

Follow me!