ユーラシア大陸の端と端の島、古代遺跡からみる文化

「縄文とケルトー辺境の比較考古学」松木武彦(ちくま新書)

縄文とケルト、興味深いタイトルに惹かれました。私は考古学に興味があるわけではないけれど、一部でちょっとした縄文ブーム?があることと、ケルトについては、キリスト教以前のヨーロッパの古層文化を形成していたものとして、最近興味がでてきたこと、その2点を並べたキーワードが並んだ本があったので、興味深いなと思ったわけです。

縄文は日本文明のルーツとしてプチブームが起こっているように思いますし、現象としても数年前に大規模な展覧会開かれたり、「縄文にはまる人々」というタイトルだったか、そんな映画もあったように思います。さらには1万年ものあいだ戦争がなかった平和な時代を形成していた原日本人と言及されたりもしています。

一方のケルトもヨーロッパ大陸の歴史的アイデンティティを形成するものとして注目されているようですし、森林を大切にし自然とともにある多神教を形成していたこと、文字を持たない文化であったことにより、どんな世界だったんだろうと想像を膨らませたりします。

この本の著者は、ユーラシア大陸の端と端に位置する日本とイギリスおいて、大昔の同時期において、直接の文化交流がなかったにもかかわらず、形やデザインが驚くほどよく似た遺跡が残されていることに注目。同じような文化形態が生まれ、形成され、やがて違った道を歩んでいくことになったということを論じています。

 つまり新石器時代に温暖化から寒冷期に入り、農業の集約化により定住社会を維持していこうとする大きな動き、エジプトや黄河、インダス川などの四大文明が、発達した地域があること。

それよりも高緯度で植物資源に打撃を受けた日本列島やブリテン島など、文明化が進んだ地域の周辺の「非文明化」の社会の道を歩んだ地域があること。縄文やケルト(ケルトというよりは原ケルト)はベースにこの「非文明化」の地域にあたる場所なのだといいます。

やがてこの「非文明化」の地域は、王を擁する隣接する大陸の帝国(ローマであり中国)からの金属器文明の波を被り、ユーラシア大陸の端と端の島は別の道を歩んでいくことになると。やがて島の人々は「部族」(←ここではケルトをさす)、「国」(←ここでは弥生の国をさす)と呼ばれていくようになる。大陸のふところには帝国があり、「部族」や「国」が衛星群のように取り巻いて世界システムが成立していったといいます。

では何故、違う道を歩んだのか?その一つに海峡の違いがある、簡単に行けるのか?簡単には行けないのか?そんな違いも道を分ける要素の一つとしてあると著者は言いますが、確かに、シンプルではありますが、い言えて妙だなと思ったりします。環境の差は文化に大きく影響を与えるわけですからね。

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