古い道具が妖怪に変化、百鬼夜行
百鬼ぞくぞく 妖怪ワンダーランド」展 (杉並区立郷土資料館 )
最近おもしろい街と感じている高円寺をブラブラするついでに、杉並区立郷土資料館で「百鬼ぞくぞく 妖怪ワンダーランド」展が開催されているので、そこものぞいてみました。正直、郷土資料館って誰が行くのかな?なんて思っていましたが、いろいろ発見もあるのに気づくのです。
私が住んでいる高井戸の地域は、新石器、縄文、弥生と続く時代から人が住んでいた遺跡などが出ているようで、古代の先人たちの居住の場所の上にいるんだなとわかりました。それと江戸時代は街道があり、そこの居住者たちは街道沿いに便所を作り、そこから田畑の肥料を調達していたというからユニークです。今とは全く公衆衛生に対する観念が違うわけです。
で、百鬼のほうは有名な「百鬼夜行図」をテーマにしたミニ展示。これがモノノケ、妖怪の原点なんだけど、要するに古い道具類が妖怪になり、それらが真夜中に行脚するというもの。いわゆる付喪神というもの。室町時代に書かれた「付喪神記」には以下のように書かれています。
“陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出して、路次に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。これすなはち百年の一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり”(「付喪神記」)
私が敬愛する澁澤龍彦は、その付喪神について以下のように言及。
“それは自然界に偏在して、いろいろな物体の中に入ったり出たりする霊魂、神に似て階級の低い、小さな庶物の精霊にふさわしい世界だった。このような観点から見るならば、百鬼夜行とは、精霊的な自然の無秩序の別名であるかもしれないのだ。自然そのものが、百鬼夜行と言えるかもしれないのだ。”(引用:澁澤龍彦「付喪神」)
一つの日本文化の形態と言えるのですが、その資料館に江戸時代に建てられたという200年以上前の古民家があり、その感性わかるなとと感じたことがありました。
古民家の中に入っていろいろ道具類などを見ていると、世の中ホントに便利になったと感じるのです。ガスや電気もなく水道もないその時代、今のようにモノが溢れ、夜でも明るさというのが絶えない時代ではない。夜にもなれば辺りは真っ暗、闇の向こうに何か得たいのしれないものを感じざる得ない、ゾクゾクっとしたものを思うでしょう。そして、道具類も工業製品ではなく、自然のものを人の手仕事で加工したもの、自然の延長線上にあると言えます。さらに今ほどモノが豊富な時代ではないから、より一層モノを大切に、そしてモノの効用、役割に感謝をしないとバチがあたるという道徳的な考え方も自然と涌き出てくるように生まれてきたんじゃないかと連想しました。
そうした感性が百鬼夜行を生み出したとすれば、日本人の感性として充分納得が行くのであります。