前半は階級闘争、後半はジャングルをサバイバルという不思議な映画

映画「この庭に死す」(1956年)

■製作年:1956年
■監督:ルイス・ブニュエル
■出演:シモーヌ・シニョレ、シャルル・バネル、ミシェル・ピッコリ、他

ルイス・ブニュエル監督の映画「この庭に死す」は、前半と後半が、ええっ?と言いたくなるくらい内容もガラッと変わってしまう作品。「哀しみのトリスターナ」も前半と後半でキャラクターの性格がガラッと変わったので驚いたのですが、この映画はその比ではないくらいイメージが転換します。

というのも前半部分は、ダイヤの採掘鉱山における支配者層と採掘場で働く労働者との階級闘争、労働争議の話で、労働者が蜂起し鎮圧されます。しかし、後半となると争議首謀者と容疑をかけられた人物らがその地から脱出を図るべくジャングルをさ迷うサバイバルストーリーへと転換してしまうのです。

その中でも銀行強盗の容疑があり手配者である危険な雰囲気を漂わせる男が、いざサバイバルとなると別人物のようになり、ともに助け合って生きてこのジャングルから脱出しよう!となるのである・・・。

この後半部分のジャングルでのサバイバル描写は、なかなか見ごたえがある映像でした。撮影が大変だったろうと容易に想像がつくし、役者も服がボロボロになったものを纏い、虫やトイレなど悩ますものもいっぱいあったんだろうなと。

ちなみに飛行機が墜落した現場に登場人物らはたどり着き食料や衣服などをそこで調達する(つまり事故現場の残骸から衣服や食料をいただくということなので、さらりと描いていても、それはヘビーなこと)のですが、その飛行機の残骸はいったいどうやって手配したんだろうか?とも思うわけでした。

ストーリー的に見たら破天荒な感じなのですが、場面場面が面白いので楽しくみることができました。ブニュエルは多作であるとともに毎回独創的な映画を作っているので驚かされます。

<プロの眼>

●それまでけっして言及されていなかった、ラテンアメリカにおける政治的矛盾が主題として選ばれていることである。『この庭の死』では鉱山の労働争議と軍隊の導入。『熱狂はエル・パオに達す』では、カリブ海のある島における独裁政治。二十世紀後半のラテンアメリカ文学には幸か不幸か、「独裁者もの」という独自のジャンルがある。・・・・・・現実に独裁政権が続いていたメキシコでは、このような主題を映画の企画として採り上げることは、ありえないことであった。ブニュエルの試みは充分に予言的であり、それは後年の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』の女性テロリストにまで影を投じている。

※上記、「ルイス・ブニュエル」四方田犬彦・著(作品社)

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