無限停滞の中で世界の輪郭が崩れていく様子は、現代の様子に通じているのでは?

映画 「皆殺しの天使」(1962年)

■製作年:1962年
■監督ルイス・ブニュエル
■出演:シルビア・ピナル、エンリケ・ランバル、他

シュルレアリスムの奇才、ルイス・ブニュエル監督「皆殺しの天使」(第15回カンヌ国際映画祭・国際映画批評家連盟賞受賞作品)はとても奇妙な映画です。

映画の宣伝文句には「オペラ観劇後に晩餐会が催された邸宅。20人のブルジョアが宴を楽しんでいる。夜が更け、やがて明け方になっても、誰も帰ろうとしない。次の夜が来ても、誰も帰らない。皆、帰る方法を忘れたか、その気力も失われたかのように客間を出ることができないのだ。・・・」とあるように、映画の登場人物たちは、なぜか客間から出ることができない。

これは何かの象徴的な世界を表しているといえば、たぶんそうなんだろうけれど、難しい。そして、超ヘンな世界なのです。たぶんドアの取っ手に手かけて扉を開けて、足を踏み出せば、容易に屋敷から出ることができるのだろうに、と思うのですが。少なくとも映画では外的な目に見えない圧力がかかっていて外に出ることができないというようには描かれていません。この家の外では、大騒ぎになっていますが。

潜在意識下における集団洗脳、集団催眠のようなものが、魔法のように起きてしまうとわかりきった行為も容易にはできなくなるとブニュエルは言いたいのいのか?あるいは、政治的揶揄なのか、特権階級を笑っているのか?

この映画は、なんと私が生まれた翌年の1962年に作られている。そんな時代から前衛的なものが作られ興行として成立していたということ。物語的には全く意味不明な作品なのに、俳優たちは真剣に演じているのが、また作品の不思議さに輪をかけてきます。

へーっと思ったのは、客間を何とかでようとして、カバラの魔術を使う場面とフリーメーソンの秘密の隠語で部屋を出ようと試みる場面があったこと。カバラもフリーメーソンも魔術、秘密という部分がクローズアップされていたのです。この映画を作ったのはスペインのシュルレアリズムの映像作家ブニュエル。

この映画の不思議さは、作られた時代を超えて現代のコロナ禍の現象に通じるものがあるようにも思います。ウィルスという見えない存在に日本国民全員が囚われ、外に出るときは暑かろうが人がいなかろうがマスクをしている、この不思議で異様な現象。もちろん感染対策というものがあるのはわかっていますが、一方で同調圧力というものがそこに働いているのも事実。メディアから流れ政府がいろいろ発令しますが、私たちはいつ?どのようなきっかけでマスクを外した生活を送ることができるのでしょうか?今の私たちの世界は、まるで屋敷を出ることができない映画の登場人物にも思えてくるのでした・・・。

<プロの眼>

●ここに『アンダルシアの犬』以来、ブニュエルが片時も忘れなかった、シュルレアリスムの悪夢と荒唐無稽な黒い諧謔が、十二分に実現されていることだ。ブルジョワジーが属性のように携えている不安、苛立ち、、無力感と停滞感。欲望は抑圧され、意志的な行為はつねに妨害を受ける。すべてが徒労となり、際限ない循環を抜け出すことができない。事物も人間性もすべてが頽落し、絶望のうちに死へと流れ込もうとする。ひとたび開放の手立てが唱えられたとしても、それは新しい挫折を導きだすにすぎない。

●もしこのフィルムの印象を他の芸術作品に喩えるならば、もっとも近いのはキャロルの『不思議の国のアリス』に登場する不思議な戸棚であるかもしれない。それは遠目には確実に存在しているように見えるのだが、いざ接近して確かめようとすると、何一つとして確かなものは見当たらず、すべてが悉く曖昧となってしまうような戸棚である。

●みずからの無垢を惜しげもなく放棄し、内なる天使性を犠牲とすることで人々を救済せんとする、自己献身の徒レティティアにふさわしい呼称なのだ。彼女こそは自身の処女性を殺戮することで、真に「皆殺しの天使」を体現する。そしてこの天使に導かれることによって、ブルジョワジーは解放への道を一気に歩むことになる。

●レティティアの果敢な試みは、はたして成功したことになるのだろうか。彼女はビリディアナの理想主義の轍を踏むことなく、ブルジョアワジーを永遠の悪循環から解放することができたのだろうか・ブニュエルが最後に与えたエピローグは、この点をめぐってきわめて懐疑的な回答を出している。ブルジョワジーは事件終了後、次の日曜日は平然とした表情で大聖堂のミサに列席し、そのまま以前と同じ自己監禁の悪夢を引き寄せてしまうのだ。・・・・・・まこと、この事態はペストのように伝播し、ひとたび伝染してしまえば、何人たりともその厄難から逃れることはできないのだと、ブニュエルはいいたげである。エピローグでは街角に暴動が生じ、警官隊は発砲して、今にも虐殺が生じかねないといった状況が描かれている。ここでも皆殺しの天使が人知れず跳梁している。

※「ルイス・ブニュエル」四方田犬彦・著(作品社)から引用

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