救いがない貧困の悲しさを描いた1950年の映画

映画「忘れられた人々」(1950年)

■製作年:1950年
■監督:ルイス・ブニュエル
■出演:エステラ・インダ、ミゲル・インクラン、アルフォンソ・メヒア、他

ルイス・ブニュエルという一人の映像作家の凄さを知った一本の映画です。彼は奇妙な?映画を作る作家だけではない、骨太な部分がある映画監督なんだと。製作当時、つまり1950年当時のメキシコにおける貧困とそこから派生する問題を描いた作品なのですが、かなりシビアに描いているのです。夢や希望などをどこかで見せていくことで共感を得て、興業という形態で成立していく映画というメディアにおいて、救いがない絶望を描き観客に投げかけるブニュエルのこの映画は、1950年代という時代を考えると、どれほどインパクトがあり凄かったのかを想像させてくれるものです。

メキシコの貧民窟で子供達がまるで野良犬のように力強く生きている。そこへ感化院を脱走したボス格の少年が、ありとあらゆることを犯していく。そこにはモラルなんてどこ吹く風。最終的には少年同士が殺し合い、殺された少年ははゴミの山に捨てられる。これは実際にあったこと事実であると映画の頭にながれるのですが、救いようがない展開にブニュエルの告発精神が冴えていると感じました。

ボス格の不良少年が、同じ仲間を石で殴り殺した現場に居合わせた幼い子供がうなされる映像は、さすがシュルレアリスムの作家と思わせる日本の怪談の幽霊の表現のような幻想的な映像も見せてくれます。

とにかく1950年にメキシコで作られたというのが、驚きです。映像のテンポもすこぶるよく、映画完成の翌年、第4回カンヌ国際映画祭において監督賞受賞したのも頷ける映画でした。

<プロの眼>

●『忘れられた人々』には善人も悪人も登場しない。登場するのはただ生き延びることだけを道徳として選んだ少年少女たちばかりである。彼らは貧しさゆえに理想化も美徳化も施されていない。犠牲者と加害者は同じ次元にあり、ただ虫けらと同じように殺され、自滅してゆく。

●メキシコ社会の内側に居住しながらも、どこまでも他者としてそれを観察してゆく者の眼差しだけが、すぐれてこのフィルムをなしえたのだ。おそらくこの作品が巻き起こした一連のスキャンダルを持っとも適切に理解する方法とは、支配的イデオロギーから離脱したところに視座を置いた監督の批判精神を基軸にすべてを把握することである。

●この作品は無名の三留監督と見なされていたブニュエルに、作家としての尊厳を回復させたばかりではない。映画大国メキシコがそれまで獲得できなかった視座からメキシコ社会を見つめ、ブルジョア社会が忌避してきた現実をめぐって批判的な映像を提示してみせた。だがそれ以上に、第二次大戦後の世界映画の状況に決定的な衝撃を与えた。・・・・・・禁忌とされた社会的下層の現実を表象したばかりではなく、映画における表象行為と観客の視的欲望が分かち合う安定的構造に対し、カメラのレンズに向かって生卵を投げつけることで、強烈な拒否を訴えもした。

※以上、「ルイス・ブニュエル」四方田犬彦・著(作品社)から引用

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