乱痴気騒ぎの晩餐会が物議をかもしたブニュエルの映画
映画「ビリディアナ」(1961年)
■製作年:1961年
■監督:ルイス・ブニュエル
■出演:シルビア・ピナル、フランシスコ・ラバル、フェルナンド・レイ、他
1961年にカンヌ映画祭パルムドールを受賞している映画がシュルレアリストの映像作家として名高いルイス・ブニュエル監督による「ビリディアナ」。
ブニュエル監督は反教会的な映画を作るとしてカトリックから目の敵にされ、この「ビリティアナ」も、当時軍事政権であった祖国スペインのフランコ政府やバチカンがあるイタリア半島でも上映禁止になったといういわくつきの映画。確かにという見方もあれば、そこまではという感じもしなくもないという両面の見方ができるのですが、当時は反響がすごかったでしょうね。
ただ、ブニュエル自身はこの映画における表現は意図せざることだったと、ブラックユーモア映画なんだけれども計画性がなく自然にできてしまった。ブニュエル自身は信心深いカトリック一家の出でイエスズ会の学校に通っていた。「宗教教育とシュルレアリスムは、わが人生に影響を残しています。」と語っています。
映画では、主人公である修道女であったビリディアナが善意により貧民層を保護し、彼らが主人の留守中に晩餐会を催すのですが、これが意図せざる最悪の晩餐会となり、乱痴気騒ぎに展開していきます。より料理はもちろんのこと、テーブルも食器もグチャグチャ、モラルもくそもない本能、欲望むき出しの大騒ぎ。物事が悪い方へと流れていき暴走していく・・・。そこには、さりげなく最後の晩餐などキリスト教的なシンボルを盛り込み、これが不敬であるとカトリックの反感をかったのであろうと思われます。
しかし、この映画は前半と後半が全く違う展開をしている、ブニュエル映画の典型的なパターンと言えます。信仰とエロス、欲望が微妙なバランスで炸裂しているこの映画は、ブニュエルという映画監督の作家性を見事に表している傑作だと思いました。
カンヌという街はフランス、そしてブニュエルがその当時住んでいたのはメキシコ、いずれもカトリックの信仰が浸透している場所と思うのですが、そこでは問題にならなかったのでしょうか?1961年と言えば私が生まれた年、つまり60年前の映画です。そんな昔にブニュエルは世間を揺るがす過激な映画を作っていたんですね。映画が世の中に大きな影響を与えていた時代とも言えそうです。
<プロの眼>
●『ビリディアナ』はブニュエルの人生において、またその作品の主題系列において、重要な結節点にある。また同時にそれは、テクストとしてもきわめて複雑な内容をもったフィルムである。
●『ビリディアナ』とは、シュルレアリスムから出発した映画監督がこうしたスペイン文化の重層的な層の奥深くに入り込み、そこで得た豊かな財貨を苛酷な現実世界へと持ち帰ったことで成立したフィルムなのである。失われたオブジェへのフェティシズム。中世封建社会の没落と裏側に勃興してゆく資本主義体制。欲望の抑圧の終焉と<堕落>の始まり。死体嗜好趣味と衣装交換といった倒錯的情熱。この作品のなかではさまざまな主題が華麗な装飾楽句を伴っていくたびも変奏され、交互に登場する静寂と喧噪のなかで微妙な陰りを見せてゆく。
●宴席の卓を前にずらりと整列した乞食たちは、総勢で十三名。中央には盲目のドン・アマリオが鎮座して、他の十二人がそれぞれに劇的ともいえる姿勢をとる。そのあり様はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』にそっくりであり、監督はご丁寧に静止画画面の連続を通してこの決定的瞬間を強調している。そればかりではない。撮影のまさにその瞬間、盲目の頭目がイエスよろしく立ち上がると、カメラはそれを斜め仰角で捕え、背後には鶏の鳴声が高らかに鳴り渡るのだ。・・・この記念撮影の場面では、キリスト教の神聖な儀礼が、異教の女神の原型的身振りを借りることによって、およそ考えられるかぎりの卑猥さのもとに再現されている。
●乞食の饗宴において体現されているものとは何だろうか。それはいうまでもなく、キリスト教の説く七つの大罪、すなわち高慢、吝嗇、淫蕩、憤怒、飽食、嫉妬、怠情の、尽きることのないカタログである。
●理想の挫折は理想からの解放であり、現実への覚醒は夢遊病からの快癒であるとともに、現実への惨めな隷属である。そしてこうした変転は、ビリディアナの二度にわたる錯誤の認識によって動機づけられている。彼女は実際には叔父にも、また乞食に凌辱されていなかった。にもかかわらず、自分の貞操が汚されたと信じ込んでしまい、すべてを絶望のうちに受け入れてしまったのだ。
●意識の地獄の中に踏み迷い、わが身に降りかかる悪夢を現実のものと読み間違ってしまうビリティアナ。もはや彼女には脱出の手立ては見当たらず、挫折は新たな挫折を呼ぶばかりだ。解放されたと思った瞬間に、彼女はより困難な隷属状態に置かれてしまうのである。
※以上、「ルイス・ブニュエル」四方田犬彦・著(作品社)から引用