食べたくても食べれない・・・お預けですというシュルレアリスムな映画

映画「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」 (1972年)

■製作年:1972年
■監督:ルイス・ブニュエル
■出演:ジャン=ピエール・カッセル、デルフィーヌ・セイリグ、フェルナンド・レイ、ポール・フランクール、他

ルイス・ブニュエル監督の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」は監督の作風通り、いたって滑稽で笑うしかない映画なのですが、痛烈な皮肉の精神はこの作品を一方で第45回アカデミー賞(1973年)外国語映画賞を受賞するなど評価も高い作品となっています。

基本にあるのは、 ブルジョワ 階級で優雅な生活をしている6名のメインの人物が、なかなかありつけない食事ということ。食事をしようとすると、例えば、食事会に招かれたとやってきたドレスアップした面々が、招待側から明日では?何も用意はしていないとスカを食らったかと思えば、いい店紹介するから行こうとでかけたら、何か様子がおかしい。実は主人が突然亡くなり通夜だったとか、シャレた店でコーヒーを注文するときれており飲めない、紅茶も、飲むことができるのは水のみとか、さあ食事と思いきや幕があがり舞台上??・・・。さらにこうしたエピソードが続くのです。もうブラック・ユーモアでしかない(笑)

そしてよくわからないのが、広々とした一本道をこの6人のブルジョワが歩いていくシーンが何度も挿入され、ラストもそれで終わったこと。この映像の解釈をどうみていくのか?これが、なかなか難しい、わかららないというのが正直な感想です。

<プロの眼>

●夢と地の現実の混乱は、フィルムが後半に差し掛かった時から加速度的に進行する。やがて話法は、時間の契起に沿って直線的に物語を把握することが不可能にあるまで蛇行と逸脱を重ねてゆく。結局残るのは、真昼の郊外の道をどこまでも歩き続ける、疲れ切った六人のブルジョアたちの姿を描いた映像ばかりとなる。

●われわれは次々と眼前に展開されてゆく語りによって文脈はいともたやすく転倒してしまい、われわれをどこにもない場所に置き去りにしてしまう。あえてその場所名づけるとすれば、それはこの六人のブルジョアたちが移動を強いられている、世界の<外部>としか表現することができないかもしれない。『皆殺しの天使』の人物たちが<内部>に監禁された存在であるとすれば『ブルジョワジー』のそれは、<外部>に放逐された存在に他ならない。

●いかなるブルジョアも、容易に類型化できるものではない。彼らはブルジョワジーという暗黙の共同体に属しているように見えて、その実、見えない差異に絡め取られ、階級をめぐる欲求不満と不安に苛まれている。いうなれば、彼らはそれぞれに孤独の檻のなかで、階級の内側に横たわる矛盾に苦しんでいるのである。

●ブルジョワジーは不幸な悪循環のうちに幽閉され、解放の瞬間を待ち望みながらも、それがかなえられないために、慢性的な欲求不満を抱え込んでいる存在でもある。そのため恒常的に停滞し、無気力に苛まれておのれの輪郭を崩してゆく。

※以上、「ルイス・ブニュエル」四方田犬彦・著(作品社)から引用

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