日本史におけるスーパースター聖徳太子

「聖徳太子と法隆寺」展(東京国立博物館)

上野の東京国立博物館で開催していた「聖徳太子と法隆寺」展(9/5で終了)は、想像していたよりも見ごたえのある展覧会でした。というのは何個も国宝と表記されたものが展示されていて、国の宝に指定されたものなど簡単には見ることができない上に、地味な国宝もあったので、それがメインに展示される機会なんてないのだろうなと想像したりして、貴重なものを見ているんだという気にさせてくれたからです。

分厚い展覧会図録も購入しました

聖徳太子は、とにかく過去に一万円札の絵柄に使われていたこともあるのは周知の事実で、私としては、あるいは、日本人としてみれば馴染み深い肖像画の一つ(その聖徳太子の図柄の贋札が出回って被害が出ているそうですが)。だから、聖徳太子の業績を知らない人でもエライ人だったんだろうなと老いも若きも思うわけだ。無意識刷り込まれている。

偽札も出回っている有名な肖像画。

ところでその聖徳太子の業績は、大学受験で日本史を選択したのでパッと思いつくだけでも、いくつかは言うことができます。十七条憲法の制定「和を以て貴しとなし」はあまりにも有名。日本の特徴は「和」であると今でも言われるくらい影響力のある言葉です。

それと仏教を取り入れてその普及に尽力した、今回の展示の法隆寺は世界最古の木造建築物として知られています。さらには遣隋使の派遣冠位十二階という天皇を中心とした官僚制度の構築。いずれも日本の国を形づくる基本の部分を作ったと言えるのでしょう。

展覧会見るにあたりこんな本も読んでみました。

死して太子信仰が起こりそれが今の世まで続いているという奇跡、よっぽど聖徳太子は超人的な働きをしたんだろう。様々な伝説が伝説を呼び、さらに、他者の業績までもが後世の世の策略でが聖徳太子にくっつき膨らんでいったとしても、そうした現象が起こること自体が、傑出した人物であることは間違いなかったということだ。有名すぎる人物で権力の中枢にいた人物は陰謀論が渦巻くのです。

そもそも出生の謎があります。母である穴穂部間人皇女が宮中を見回っているときに、厩の戸にあたって産気づき太子を産み落としたので厩戸皇子という。馬小屋で生まれた有名な人物はというとイエス・キリストがいてその誕生伝説そ想起させ、秦氏とも縁が深かったのでキリスト教の影響?を受けていたのではという謎。

あるいは、「日本書紀」では「予て未然に知ろしめす」と予言者としての太子像が描かれていて、聖徳太子が生前に記したという「未来記」なるものがあり、楠木正成がそれを読んで倒幕に邁進した話など。聖徳太子の預言書は江戸時代になっても「未然記」なるものが江戸時代にも発見されたというから伝説は時空を超えて広がるのであります。

それら真偽の程はどうであれ、ある意味で聖徳太子が間違いなく日本史におけるスーパースターの一人であること、日本を代表する人物であることの証なのだと言える訳です。

ところで東京国立博物館の展示で星曼荼羅が展示されていました(最古のもので代表的なものであるそうです)。北斗七星、日月日水木金土、十二宮、二十八宿が描かれており、宿曜道(密教占星術)のホロスコープなので密教と法隆寺が関係があったことが伺え面白いなと思いました。

「星曼荼羅」図録から

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