昭和の偉大なる前衛・寺山修司が表現した「疫病流行記」とは?

あたしはあなたの病気です。 by寺山修司

昭和の時代、文化の風雲児として今では死語にもなりつつある「前衛」の代表格として、寺山修司がいました。私はリアルタイムで寺山修司という存在から影響を受ける機会がなかったのですが、彼の早すぎる死を追悼する企画で映画「田園に死す」を見て、大きな衝撃を受け、一時、寺山修司という存在について個人的に追っかけていたことがあります。

その寺山修司は、常に読者や観客に強烈な問いと刺激を投げかけて、巧みな言葉のレトリックで幻惑させてきたのですが、彼の残した作品群の中に「疫病流行記」という戯曲があります。今、日本は新型コロナウィルスの騒動の渦中にあり、自粛を余儀なくされ、恐ろしいほどの経済の停滞現象が起きています。

私は1990年~2000年初頭に、寺山修司の戯曲をテキストにした演劇公演を観ており、過去の薄っすらとしか残っていない記憶をたよりに、寺山修司が「疫病」についてどのようなアプローチをしていたのか考えてみたいと思います。

ちなみに、私が見た寺山の「疫病流行記」をテキストにした演劇は、①1993年「大疫病流行記」実験演劇室◎万有引力公演、②2007年「夢のコンタジオン劇 螺旋階段」実験演劇室◎万有引力公演、③2009年「疫病流行記」演劇集団池の下公演、の3本の公演。今、この時点において人が集まるという行為が難しく演劇そのものが大きな危機にあるということを忘れてはいけないでしょう。演劇という太古の昔からある人の根源的な営みにおいて、今まさに文化的な危機状況にさらされています。一日も早い終息を祈るばかりです。

寺山修司は「演劇実験室『天井桟敷』ヴィデオ・アンソロジー」という映像ドキュメントがあり、その「疫病流行記」について以下のように語っています。

“「疫病流行記」というのは、演劇というものは伝達するんじゃなくて伝染させていくということは可能だろうか?アントナン・アルトーという人が「ペストと演劇」という論文の中でね。ようするにあのね。非常に大量な人間がペストで死んだという歴史的な事件を、こう例に引きながら、その死体をその調べてみたら誰一人ペスト菌というものをもっていなかったと。彼らはペストに罹ったという幻想にとりつかれて集団で死んでしまったという。

非常になんか伝染していく演劇ということをね。非常にこう、まあ、問題にしているわけですけど「疫病流行記」というのは、客席の中にカーテンをたくさん設けて見たり見えなくなったりするという、そうゆうことを、こう観客が、あのー、魔法陣のようにね。いくつかに区切られた空間の中でAの座席にいる人とBのエリアの座席にいる人とでは、見るものが全く違って見えると。それぞれが自分たちの見えなかった部分を含めて空想で組み立てて演劇が成り立っていくという、そうゆうことを、まあ、こうやってきている。それで、そのうちに頭でっかちになっていくという自分について考えるというね。

実際、まあ、歴史上の人間の過ちというのはほとんどが理性が起こしてきた。原子爆弾を作ったのは、人間の狂気ではなくて理性ですからね。”(※映像の中の話から筆記/寺山修司談)

ここで寺山修司はとても大切な問題定義をしているように思えます。それは、現実に今、確かにウィルスは存在し人々に脅威を与えているのですが、この目に見えない恐怖というものの共同幻想のようなものに支配されてしまうことの危険性、それは一歩間違えば、あらぬ方向へと向かっていくことになりかねないこと。

それといくつものカーテンを仕切り、それぞれの観客が舞台を見ている風景が違うということ。これは、今、ウィルスという名の元で価値観の衝突が起きているということを暗示しているように思えるからです。封鎖、自粛という現象の中で様々な人間模様と価値観の衝突がそこかしこで起きているように思うからです。それを寺山は想像力の中で見据え、象徴的に表現していたのかなと思わせる発言です。

ところで、ところで寺山修司に影響を与えたというアルトーの「ペストと演劇」における考え方は台詞にも反映されています。

●魔痢子:疫病菌を毎日、少量ずつ注入すると体に免疫ができると知って、少しずつ愛人の少女の体に注入し、疫病菌そのものになりきった少女を抱いて発病し、満月の密林で発病した男・・・・・・いいえ、実はこの作戦命令を受けて現地に赴任して来て以来、十二人の医者を呼んで、人間蝿の唾液から赤亀の胆汁までを用いて研究し、結局、疫病菌の培養に失敗し、実は葡萄糖と密ゴムの汁を注射して、そこに疫病菌など実在しなかったのに、患者が続出したことに驚きながら、自分もまた伝染して死んでいった、病院長。

一人の少女の町の訪れが疫病の原因になった、ということは、一つの言葉が世界史の滅亡の原因になったということとどれほど違うでしょうか?一切の記憶は疫病でした。・・・(※寺山修司の戯曲5・思潮社から引用)

そして、今渦中にある新型コロナ・ウィルスの問題が、この戯曲のテーマとは別にそこに見え隠れもしています。寺山修司が表現した世界、書き下ろした彼の頭の中では、もしかした起こりえるかもしれない可能性を見ていたようにも思えます、戯曲には「陸軍野戦病院」で細菌戦争に備えた実験が…といった主旨の内容がありますが、今人類を脅かしているウィルスは、実は生物兵器なのでは?とその噂が一部で流れているのも嘘か誠かその真偽はわかりませんが、一笑できないことともいえましょう。

なぜなら、権力のメディア操作なのか、あるいは、恐怖の共同幻想なのか、それはわかりませんが、同じく寺山修司が別の作品で定義した「レミング」(集団自殺するネズミの行動をレミングという)そのものなもかもしれない・・・と。

今、私たちは様々な形で困難にさらされ、そして、内省する機会を与えられているので、それを前向きに捉え(捉えるしかないのですが)、過去の偉大な知見などを参考にいろいろ学ぶことが必要なんだろうなと、寺山修司のすっかり忘れていた演劇作品を振り返りながらそう思いました。

“あたしはあなたの病気です。”(寺山修司)

寺山修司の戯曲 5

演劇実験室「天井桟敷」ヴィデオ・アンソロジー [VHS]

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