つい最近まで、消費の主体は個人ではなくて記号の秩序だった

『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリヤール(紀伊国屋書店)

ボードリヤールはフランスの代表的な社会学者で、社会学に記号論や精神分析論、文化人類学を導入し、シミュレーション、ハイパーリアルといったキーワードを流行させた現代思想界の第一人者。学際的に理論を進める彼は、マーケティングの世界にも大きな影響を与えた。

この本は、80年代初頭、時代を切った名著として有名なもの。20代の私は、今は解体してしまったセゾングループで働いていたので、堤清二氏の発言とボードリヤールが重なっていたように思う。ただ、いずれもちゃんと本を読んだことはなかったけど。イメージで勝手に自分の頭の中でそう思っていたのですが・・・。

『他人との差異を示すためのファッション、インテリア、自動車からメディア、教養、娯楽、余暇、美しさ、健康への強迫観念、セックス、疲労、暴力、非暴力まですべては消費される「記号」にすぎない』

そう本の帯には書かれている。あれから30年以上経っていてもボードリヤールの理論は古びていない。むしろ、コンピュータ&ネットワークが高度に発達し、誰もがメディア化し、AIが物事を判断していく現代では、彼が提示した世界観は、もっともっと複雑に絡み合った高度な展開になってきていると思う。

『消費の主体は個人ではなくて、記号の秩序なのである』

そう書いているボードリヤール、我々の社会は今後どの方向に向かっていくのだろうか?本が出てから時代は、インターネットの時代になり、VRアイドルがコンサートを開くようにまでなり、どんどん極みに向かっているように思えた。

さらに、そこにコロナ・ウィルスが私たちを襲うことになります。経済をストップし、テレワークが進み、政府もデジタル化をさらに推進させていくという。ソーシャルディスタンス、三密を避ける、マスク、消毒液・・・。社会を揺るがす大きな変革が起こりました。

事態はウィルスを避けるとはいえ、異様な事態に進んでいっているように思います。私の印象としては感染の恐怖が、一気に非人間的な状態に私たちをもっていっているような気がします。様々なところでヴァーチャルなことが起こり始め、5Gはそれをさらに加速させることになるのかもしれません。

たとえばオンライン飲み会というのが、あります。本来は、皆が集いお酒を媒介にたわいもない話で盛り上がりコミュニケーションするのが飲み会だった。それが、このオンライン飲み会はパソコン(スマホ)さえあれば、後はヴァーチャル。画面に集中することになるので、リアルでも実は人の話をよく聞いていたりする・・・。しかしここには人と人が集うことによる波動的な温かみは存在しません。

このコロナ禍は、デジタル化を推進させることになり、様々なことは脳内の記号処理の体験と化していくのだろうか?リアルな体験というのはどうなっていくんだろうか?男女がコンパで知り合いカップルになりました・・・というよくある出会いの話はどうなっていくのだろうか?

どんなに恋愛映画に精通していても、それが恋愛の達人であることはありえません。恋愛の達人になるには、男女間の違いであり、優しさ、痛みなど言葉では表現しない部分を体験として学習しており、目に見えない身体表現できないとその域にはいくことができないでしょう。恋愛の達人は生まれ得るのでしょうか?

今、消費が激しく落ち込んでいます。はたして今度はどうなっていくのか?ますますヴァーチャルになっていき、記号による秩序はさらに進行し、記号によって差異化された消費となっていくのか?あるいは、もっと別のスタイルとなっていくのか?先が見えない状況が、大きく行く手を遮っているように思えます。

消費社会の神話と構造 新装版

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