道教の神々はアジア的宇宙観そのものような気がする

『道教の神々』窪徳忠(講談社学術文庫)

道教の廟に行くと原色キラキラ、龍や鳳凰が一杯いて眩暈がしそう。 どこか惹かれるところがあります。しかし、日本では道教はあまりなじみがなく、実際、かなり分野が広く歴史も多様でよくわからないところも多々あります。

道教の神々は日本の八百万の神々と同じで物事の事象の数だけある勢い、その主なものをこの本では、後半部分で紹介しているのですが、正直身近ではない分、途中から訳がわからなくなってきます。いってみれば日本の神道と同じように、神様が大変多いということと。読んでいる私としては、中国の歴史に馴染みがないということもあり、途中で挫折しそうです。

この本によると、中国で発祥した宗教は、道教と儒教。孔子の儒教を宗教とみるかという議論があるそうなので、それを考慮すると、道教は中国から生まれたまぎれもない宗教であるということ。

しかし、宗教といっても創始者がいない自然発生的なもの。数々の民間信仰を取り込んできて現在の形になっている。私はこの自然発生的というのが気に入っています。多様性があり体系だっていない部分が、わかりにくいけど魅力的です。

老子が説いたとこからはじまる道家、宇宙生成論の易経、世界観としての陰陽五行、星で運命を占う占星術、養生としての医学、そして不老長寿の神仙思想などなど、多分その総体は広すぎて掴むことができないのでは?と思うくらいです。

私は道教を見ているとどうしても、多神教ゆえに、神道との類似性を感じてしまうし、そもそも神道という言葉には道教の中心概念である道=タオの文字が入っていることに気がつくのです。どちらが先で、どうのこうのではなく、アジア的な宇宙感といえばいいのでしょうか、

同じく多神教であるヒンズー教とも似ているような気がするし、仏教も釈迦という方がいても、それが後世になると数々の仏様が寺院にはいます。曼荼羅なんて仏様だらけだし。なんでこうなる展開なのか?おもしいな~、アジア的宇宙観なのかなと。

そういえばエジプトも、古代は多神教であったし、ミイラをつくり医術を発達させ、星や太陽のの運行で、この世界のルールのようなものをつくっていたので、ある意味で、人の感性という部分で、道教や神道との共通性さえ感じます。

もちろん見えかたはそれぞれの文化や風土を反映しているので、全然違ったりしますが、そのエッセンスはどれも似ているような気がしてならないのです。

ちなみに窪徳忠という方は日本の道教研究の第一人者のようです。私は全く知りませんでした。

道教の神々 (講談社学術文庫)

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