文学というジャンルをどう、とらえるか?人それぞれ・・・

 「文学と悪」ジョルジュ・バタイユ(ちくま学芸文庫)  

ジョルジュ・バタイユの「文学と悪」は、作家論という形で集められたバタイユによって論じられたもの。その作家たちは、エミリ・ブロンテ、ボードレール、ミシュレ、ウィリアム・ブレイク、サド、プルースト、カフカ、ジュネといった面々。

そこにあげられた作家たちは私には名前は知っているものの、小説を読んだことがない、昔に読んだけど内容を忘れてほとんど忘れてしまったというのがほとんどというのが実状です。また、バタイユのターゲットにされて何度もその名前が出てくる哲学者のサルトルも私は読んだことがないという始末。

そうした中途半端な状態で読んでいて、時折見せるのがバタイユ独自の「侵犯」の思想に触れる部分、そこは馴染みというか頭に入りやすかったという次第。

そこで、バタイユにとっての文学とは?を本より引用しました。

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『文学の表現するものとは、まさしく悪ー悪の極限形態ーなのだが、その悪こそ、わたしたちにとって至高の価値をもつものだとわたしは考えている。しかしそうだからといって、別に道徳(モラル)の不在を主張しようというのではない。むしろこれは「超道徳(イペルモラル)」を要求するものである』

文学とは霊的交通である。霊的交通は、誠実さを要求する。したがって、この峻厳な道徳(モラル)は、当然、悪の認識による共犯関係から出発してあたえられるののであり、またこの共犯関係こそ、強烈な霊的交通を基礎づけるものなのである。』

『文学とは、ついにふたたび見いだされた少年時代のことではなかろうか』

※『』部分、「文学と悪」ジョルジュ・バタイユ/山本功訳(ちくま学芸文庫)より引用

文学と悪 (ちくま学芸文庫)

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