精神と肉体は切っても切れない関係にある―神秘の謎へ

『神秘体験』山折哲雄(講談社新書)

日本を代表する宗教学者・山折哲雄氏の本、(この講談社新書は古いデザイン、書棚から取って読み返してみました。)温厚そうなオジさんのイメージが強い山折氏が神秘体験を語るなんて、ちょっと結びつかないのですが、この分野は宗教を研究する学者としては避けては通れない部分です。

この神秘体験、氏が冒頭で
“夢と現実が交替し、その間隙をぬうように幻視や幻聴が殺到してくる。奇怪なイメージがあらわれ、エロティックな感覚が以上に発酵する。”“それは一瞬のうちに天国と地獄のイメージをあふれさせ、死とエロスの両義的な情感を増幅させる”
と述べているように宗教的体験の核となるようなもの。それは私のようなレベルでも容易に言葉から想起されるイメージで想像がつこうというものだ。
私がこの本で興味をそそられたところは、「エクスタシーとカタルシス」と題されたところ。
それは、“神秘の体験は、しばしば肉体の特殊な感覚と連動している”とし、“排泄による爽快感”を“身体のカタルシス”に、“精液の不動化”“神秘的なエクスタシー”を結びつけて論じているところであった。

《排泄による爽快感による身体のカタルシス》

山折氏はミハイール・バフチーンの著名なフランソワ・ラブレーを分析した批評を持ち出す。
まずラブレーの作品はグロテスク・リアリズムの手法によって追求されており、その世界では“排泄される糞や尿は物質、世界、宇宙の自然力を肉化したものとされ、宇宙的な恐怖を陽気なカーニバル的怪物へと変える媒体”と見做す。
つまり“糞尿は、恐怖を笑いへと転換させる物質”なのである。その“陽気な物質を排泄する行為は下降と下落のイメージによって肉体と宇宙の再生をめざ”し、“一種のカタルシス効果による解放と治療を意味”しているという。

“排泄によって世界イメージが転換し、再生感覚を味わう”こと、それは“排泄されるものは身体の内部を沈下しつずけ、最終的に肛門や尿道から離脱して宇宙に解放される。下降エネルギーが宇宙と邂逅する瞬間が、そのときおとずれる”のである。

《精液の不動化による神秘的なエクスタシー》

その方法として「ハタ・ヨーガ」をあげている。その“肉体観は、肛門と生殖器の中間に位置する会陰部への注視から出発する。そこにはクンダリーニと称する動物的な性エネルギーが、とぐろを巻いた蛇のイメージでうずくまっている”のであり、“この動物的な性エネルギーは、上昇するにつれて身体内部のいくつかの生命中枢(チャクラ)を通過していく。それは上昇するに鈍化され、しだいに一種の霊気的なエネルギーへと変換して、頭頂から外界へと放出される。その瞬間、それは宇宙のエネルギーと合体する”のだ。
つまり“クンダリーニの覚醒とは性的衝動の覚醒であり、精液の灼熱化と放出(=射精)を意味する”がヨーガの瞑想者は“いまや射精せんとするその瞬間に、息を停めて(クンバカ)精液の「不動化」をはからなければならない。”

“クンダリーニの「上昇」がじつは不動化された精液の霊化を意味するもの”であり“精液の昇華としてのエクスタシーを生み出す過程であった”とするわけである。

私はチベットに行きましたし、その密教を調べ、知るにつけ、その深い部分には、ヤブユム(男女合体像)やクンダリーニに影響を受けた性瑜伽など、性的なエネルギーの昇華というのがその修法の中にあるのを知りました。とかく性はタブー視されがちですが、人の営みにはさけて通れないもの。そのエネルギーの調整はある意味で難しいし、それをどう活用していくのか?そんなことを考えさせられます。

精神の動き(それも宗教的な)が、肉体と密接に結びついているところが、興味深く思えたのでありました。

神秘体験 (講談社現代新書)

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