目の前の現実に向き合うことなのか?映画「沈黙」

映画「沈黙」(1962年)
■監督:イングマール・ベルイマン
■出演:イングリッド・チューリン、グンネル・リンドブロム、ヨルゲン・リンドストロム、他
ベルイマン監督の神の沈黙三部作のこれが三作目の作品です。内容としてはこちらが一番理解するに難しいのですが、変化にも富んでいて退屈せずに見れた映画でした。この「沈黙」はそれまでの二作品と違い子供が登場し、子供の目線で話を追っていくこともできるようになっています。その子供の仕草を見ていると演出が細かく、ホント丁寧に作られている映画だなあと思います。病気を持って発作に苦しんでいる姉、その姉に反発している妹、その妹の子供の3人をメインに異国のホテルの老いた支配人、侏儒症の劇団員たち、妹の情事相手となるカフェのボーイがそれぞれに絡んできます。
姉と妹、彼女らは常にいらついて不安や怒りを内に抱えている。姉は急に咳込み、壮絶な苦しみの発作に襲われます。あきらかに病気が体を蝕んでいるいるにもかかわらず、お酒は飲むは、タバコは吸うはで、半ば自暴自棄になっているよう。どうやら潔癖症なところもある。彼女の孤独と死への不安はたとえば自慰で慰めようとしますがそれも一時的なものに過ぎません。アルコールにタバコ、そして自慰、すべて自己完結する嗜好のもの、そこに他者の介在はありません。コミュニケーションが、自分自身の内側にあるなにものかになっていて閉鎖系、閉じています。
一方の妹は姉に反発しており、憎むべき存在として姉に対して当てつけ的な行動をとり、それを彼女の行動における言い訳としています。彼女は子供がいるのですが、そのケアは気まぐれで子供はさみしい思いをしています。といのも、彼女は異国の言葉の通じない街へ出かけ男を誘惑します。ホテルに戻ってきた彼女の服が汚れているのですが、なんと教会で男と交わり汚してしまったというのです。なかなかの猛者です。さらに妹は男をホテルにも連れ込みますが、逢い引きの様子を子供に見られてしまいます。子供にとって母親が見知らぬ男と抱擁しあっているのを目撃してしまうことは、どれ程ショックなことでしょう。さらに妹の行動が気になる姉は、情事の最中に部屋に入っていきます。姉妹は罵りあいをはじめ、妹は獣のようなセックスをします。それはそれで彼女は姉と違った方法で自分を痛みつけていると感じるのです。
この映画において、神の沈黙とは何なのでしょう?饒舌には語りません。全編ペシミックな空気を感じるしかないのです。人生はいかにも苦しい。神の沈黙は、ただその現実に向き買っていくしかないことなのか?

