同時多発で、無限分裂する漂泊するすごい存在

『宗教の力 日本人の心はどこへ行くのか』山折哲雄(PHP新書)

日本人における宗教とは?

日本を代表する宗教学者である山折哲雄氏は、底に横たわっているのは“ゆるやかな宗教心”であるとしています。

我々日本人は過激な宗教行動に対しては胡散臭いと感じる傾向があり、宗教に対してはハレものに触る態度をとったり、無信仰ですと答えたりしても、実は遺骨やお墓となってくると話が別と云わんばかりにその態度が変わってくることが多いように見受けられる、と指摘。

たしかに遺骨信仰、お墓信仰に対しては日本人は根強いものをもっているようで、ペットのお墓まで盛んです。しかし、氏はそれだけで満足しているのだろうか?そんなんことなはい実は素晴らしい宗教心があるのだと。
その原形質のようなものが“無常感”、つまりそれは“人間は必ず滅びるものであり、その滅びゆく者に対して無限の共感の涙をそそぐ、そしてその深い哀しみの中で人と人の気持ちがはじめて深いところで通じ合うのではないか、その共感の世界が日本人における祈りの感情”であると述べています。
それはのちに山折氏が述べるところの”祖先崇拝”の問題に係わってくるように思えます。

西洋には祖先崇拝を見る事ができずアジア地帯に限られている、外来宗教としての仏教はこの祖先崇拝を受け入れることで土着化に成功した、つまり伝統的な仏教教団においてもそのホンネの部分では祖先崇拝を基盤として教団拡大を図ってきたのであると。

そこで氏は、“日本人の信仰において「先祖」という存在が持っていた権威と役割は、ちょうど欧米社会における「神」の存在に極めて類似している”という論調を展開しています。なるほど我々は神という存在を思ったときなかなかイメージしにくい部分があるが、それを先祖と置き換えてみるとわかりやすい、私にはそう思えました。

また、氏は怨霊信仰(=たたり)の話を例に出して、日本人における霊魂観と神観念は表裏一体の関係があるとして、6つの特徴を挙げています。

1.隠れる神と葬られる神の2種類の神がある
隠れる神>→神話の舞台で活躍後自然に前面から退いていく神、
死ぬことはない、背後へと退くだけ、天つ神系
葬られる神>→寿命を終えて息を引き取って山稜に葬られる、
死すべき運命の神、国つ神系
“永世不死の霊と有限の霊、死ぬべき霊と不死の生命を持つ霊、というように霊魂について二重の観念が重層化している”

2.肉体性を持たない
目に見えない存在、個性を持たない、八百万の神々、
(ギリシャ・ローマの神は個性・肉体を持っている)

3.記号化される神
名前はほとんど実際的な役に立っていない、日本人は
神々を呼びなわすとき単純な記号に置き換えている
一二三(三柱)、上中下(下社、中社、上社)、内外(内宮、外宮)

4.特定の場所に鎮座する
特定の場所に結び付けて名づけるケースが古い神々には多い
飛鳥に坐す神、地鎮祭儀礼

5.無限に分割可能
いくらでも分割することが可能だという性格
八幡・稲荷・天神
“私はひょっとすると、日本の神のすべての性格をその一身のうちに包み込んでいるのが、この八幡神ではないかとすらおもっている”(「宗教の力」山折哲雄より引用)

6.漂着性という性格
目にも止まらぬ速さでどこにでも漂着する神の性格

この特徴をまとめるとどういう全体像が見えてくるのか?

<山折氏のまとめ>

“目に見えない、非常に身軽である、個性を持たない、肉体性を持たない、いつどこへでも特定の場所に飛んでいける漂着性、しかも無限に分裂してとどまるところを知らない。同時発生的に一つの神が別々の地域に、いつでも飛んでいって漂着する。” (「宗教の力」山折哲雄より引用)

まこと畏怖すべき存在なるかな。

宗教の力―日本人の心はどこへ行くのか (PHP新書)

Follow me!