いかに私がバカなのかを知ることが賢くなる第一歩

『禅の教室 坐禅でつかむ仏教の神髄』 藤田一照&伊藤比呂美 (中公新書)

『バカな僕がバカな頭で賢い人を想像して、その想像を頼りに努力して、とうとう賢い人になったと思っている相変わらずバカな僕』

禅僧の藤田一照氏と詩人の伊藤比呂美氏による対談本「禅の教室 坐禅でつかむ仏教の神髄」という本を読み終えたのですが、ページをめくっていて、最後の方でこんなフレーズに出会いました。

いかにも偉くなったと思っているバカな君、実は、根っこは何も変わっていないバカなんだよ、わかってますか?という問いかけなんですね。これはおもしろい。

では、賢くなるためにはどうしたらいい?それはいかに私がバカかということを身 ( 身体的行動 ) ・口 ( 言語表現 ) ・意 ( 意志 ) の三業にわたって、徹底的に思い知っていくことなのだと。つまり、全身全霊で、身体の隅々まで、自分の存在をかけて、私はいかにバカなのかを知ることで、賢くなれるということなのです。

このようなことが藤田氏と伊藤氏の対談形式で書かれてあるのが「禅の教室」でした。伊藤氏は、ある時期、一世を風靡した詩人です。彼女の鋭い問いかけと歳を重ねてくることにからくる成熟した思考に対して、藤田氏が適切な返答をし、わかりやすく禅について話しているのが、とても楽しく読めました。

私は坐禅を本格的にはしたことがありませんが(真似事はありますが)、この本では、藤田氏がわかりやすく禅について解説してくれているので、その問いかけは、気づきのヒントや、通常とは違う思考回路を巡らせたりすることができるんだろうなと思ったりしました。

とある禅寺に行った時、そこの僧から聞いたことがあるのですが、およそ道とついている武道、茶道、華道などなどは、禅の影響を大きく受けているそうです。

「道」か…。

この道とは、道教を理論化した老子にもある考え方で、禅は道教=タオの影響を受けているんだろうかと想像してみたりしました。

ちなみに、私が行った禅寺の僧が行っていたのですが、寺で開く坐禅会に最近は、スピリチュアル的な人からビジョンを見ることができるのですか?という問い合わせが多いと聞きました。仏教的な瞑想はマインドフルネスもそうですが、精神世界系の瞑想のようにビジョンを見るとか神秘体験をするのとは違った立場に立っています。まったくちがうものであるということ。

それぞれの個人には、それぞれのレベルに合わせた、個々の人生の目に見えない「道」があるんだろうな。とりあえずバカな私が、どうバカなのかを深めていくというのが、人生の課題のような気がしています(笑)

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)

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