100年前にチベットで修業した凄い仏教僧がいた
『チベット滞在記』多田等観(講談社学術文庫)
100年以上前にチベットで修業した僧侶の多田等観という仏教僧侶の名前を聞いたことがあるでしょうか?多田僧侶は大正期にチベットに渡り、ラサの寺院で10年の長きに渡りチベット仏教を学んだ方です。今から100年以上も前の話です。
その多田僧侶の「チベット滞在記」を読んだのですが、これがとても面白かったのです。
大正時代ですから、まだまだ交通機関は今のように発達、整備されていませんから、チベットとなると全くベールに包まれており、言葉通りまさに秘境となるわけです。そこに命がけで渡り、10年に渡りチベット仏教を修行したわけですから、リアルな感覚として、遥かに私の想像を超えています。
その本の中で多田僧侶の、チベット渡航の経緯と困難な旅路の部分は、限りなく凄まじいと感じました。飛行機や鉄道がないので、徒歩?馬?で行く?まさにアドベンチャーなのです。多田僧侶は、ある意味で相当な探検家の要素を持ち合わせていたということを感じました。誰もが簡単にはいけるような場所ではないのですから・・・。つまりこの本は、仏教の修行記としても、また、100年前の波乱万丈の旅をした冒険記としても読めるのです。
多田僧侶の寺院での生活、ダライ・ラマ13世との交流の話、チベットの習俗や巡礼の旅についてなどなど、その功績は多大なるものがあると思いました。日本人として誇れる仏教僧、こんなすごい方がいたとは!
面白いと思った話が、チベット人に日本語を教えたのですが、多田僧侶は秋田出身の人ゆえ、ズーズー弁。故に彼から日本語を学んだチベット人は、そのままズーズー弁の言葉を覚えてしまい、多田僧侶から日本語を学んだチベット人の言葉が、逆に日本人に通じないという笑える次第。
多田僧侶の滞在記の舞台となったポタラ宮、ジョカン寺、セラ寺に行ったことがあるので、ああ、100年も前に仏教の神髄を学ぶためにこんな場所まで、来ていたんだなと思い馳せるとちょっと身近に感じるとともに、人の可能性は限りないと思えてきます。
多田僧侶の時代とは違い、今は世の中便利になりましたので、飛行機を乗り次いで直ぐにラサに入ることができます。だから、なおさらその凄さを感じずにはいられません。なんといってもチベットはヒマラヤを後背に荒れ地が広がる高地なのですから・・・。
チベット滞在記 (講談社学術文庫)