ビバ、フェリーニ!機械仕掛けの女性人形と愛しき死の舞踏

映画「カサノバ」(1976年)

■製作年:1976年
■監督:フェデリコ・フェリーニ
■出演:ドナルド・サザーランド、シセル・ブラウン、ティナ・オーモン、他

私が初めてフェデリコ・フェリーニの映画を観たのがこの「カサノバ」です。丁度、10代の終りから20歳になる頃だったと思います。まるで重厚な絵画を観ているかのような映像で、これまでそのような映画は観たことがなかったので、ビックリした記憶があります。また、カサノバという人物が性の遍歴を重ねた元祖プレイボーイででることもこの時に知ったのでした。思えば知らないことを映画からいろいろ学んだ、そう思います。

このカサノバ、ある本によるとバイオリン奏者であり、奇抜な博学者、論争的エッセイスト、ペテン師、山師、カバラと悪魔祓いに精通、フリーメイソンの一員であり、戯曲家なのだそうだ。おまけに宗教的不敬罪で鉛の監獄に収監も脱獄、以後、放浪の旅を続ける強者です。フェリーニはカサノバの書いた「回想録」を読んでいないし、よたもので嫌味な奴、邪悪なピノッキオだと評している始末・・・。

いいこと書かれていないカサノバ本人ですが、この映画の持つ、なんと言えばいいのかフェリーニ独特の揶揄したかのような過剰性を帯び、グロテスクとも言える表現が、こんな見せ方もあるんだと、映画の内容をすべて理解ができていなくとも、若き私は、日本映画にはない一種独特なカーニバル的世界観に私は惹かれた訳です。以後、フェリーニの他の映画を見るにつけ、どんどんその世界に魅了される自分を感じていくことになります。

今回久しぶりにこの映画を観て、孤高で一人よがりで半ば見世物的な人物に描かれているカサノバに共感するものは、あまり感じませんでしたが、生きるという意味で憎めない愛すべき人物だなと思うのでした。彼は世の中に翻弄された道化師と言えるのかもしれません。

カサノバはちょっとした有名人でいく先々で好奇の対象として見られます。彼のプライドを支えているのはなんだろう?精力は誰よりもあり性豪、若者とのセックス競争では19個の卵を飲みほして勝利、追随を許さないその種馬的パワーは一つの男の勲章で芸の域にある。

そしてただそれだけの男ではなく、上記に書いたように知的にも様々な分野に長けていたようだし、彼自身は知識人として自尊心を持っていた?といいながらも、カサノバは道化的存在であり、周囲からは物笑いの種とされつつも、本人は気づかず防衛的な意味合いも含め、私という自我の殻に閉じこもる。

このカサノバが機械仕掛けの人形と性行為に及び氷った湖で一緒に踊るシーンがあります。その舞踊の場面はとても印象的で、いろいろな解釈もできるように思います。

・もはや彼の相手をしてくれる女性は機械仕掛けの人形しかないと身勝手な男への突き放した視線なのか?
・彼はどこまでもどこまでも女性とみなされるものに奉仕するマシンだったのか?
・彼は偏見で物事を判断せず、どこまでも紳士的姿勢であろうとする自己の理想像的な側面を見せたのか?
・彼はいよいよ老いて、誰からも相手にされなくなりもはや機械に想いをぶつけるしかない孤独な境地に追い込まれたのか?

どれとも言えるだろうし、どれとも言えないのだろう。わかるのはそこに避けることのできない死の影が忍びよっているということ。

カサノバは華麗なる女性遍歴でその名を築いた男性、だから死の舞踏の相手は機械仕掛け人形とは言え女だった。何かに一途に打ち込み、その道を極めんとした者には、それぞれの死の舞踊を一緒に踊る何者かがあるのだと、プラスの発想として私はそう感じることもできたのでした。

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