澁澤龍彦の指摘は半世紀を過ぎて現実となった

「毒薬の手帖」澁澤龍彦(河出文庫)

澁澤龍彦の手帖3部作のひとつがこの「毒薬の手帖」。その第1番目のエッセイはこんな文章から始まります。

『「毒」という言葉には、あらゆる犯罪者や、ロマンティックな犯罪文学愛好家を強く惹きつける、奇妙に魔術的な、魅惑的な響きがあるように思われる。』

この入り方はまるで知る人も少なくなってきたかもしれないテレビドラマの名作「スパイ大作戦」の冒頭、「例によって、君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないから、そのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。」とテープが自動消滅する前の本部の指令終了後の決まり文句のように華麗な響きを持ってはいないか。それは秘密保持のため無慈悲ともいえるドライな対応とスパイの過酷な任務遂行がロマン性を帯びてくる感じが、妙に犯罪と毒の組み合わせと相似しているように思えてきてしまう。

ところで、同じ章には次のような文章がある。

『それにしても、毒の行使者の70パーセントまでが女性であるということは、わたしたちの注意をひくに十分な事実であろう。』

毒による殺人、それは女性の必殺技なんだろうか?「おなか減ったでしょ?料理ができたから食べて」と女性から言われれば、男はまさかそこに毒が入っているなんて思わず食べてしまうだろう。力で劣る女性は力の分野では勝てない。むしろ女性としての特性を活かしたほうが成功の確率は高い。

一方でデトックス=毒出しに励むのも女性である。美を追求するには毒出しが一番なのだが、面白いことに女性の共通の悩みとして便秘がある。排便行為とは体内の毒を出す行為でもあるが、それが悩みというのもうまくできたものだと思う。口から入ってくる食の安全に興味を持つのも男性よりも女性。それを考えると上記の澁澤の言葉が妙に響くのです。

ところで澁澤は、この本において、食の安全問題を予言するかのように、当時公害問題などがあったにせよ、見た目にきれいなものを優先するがゆえの毒に汚染されてしまった社会に警笛をならしている。「毒薬の手帖」が発表されたのは1963年。私が生まれた2年後、まさに出版から半世紀が過ぎ澁澤の指摘は現実のことになっている。

『傷ましい進歩の代償は、要するに近代文明が生活の中にばらまいた、多くの有害な物質と関係がある。無知な子供や軽率な大人が、これらの有害な物質を吸収する記念にたえずさらされているわけだ。

都市生活に欠かせない医薬品や、催眠剤や、鎮静剤は、それらの第一の部類に属する。さらにこれに続くものに、食品の貯蔵を確実にするとか、外観をよくするとかの目的で、食品された有害な物質がある。人口着色剤、防腐剤などがそれだ。第三に、近頃日本でも週刊誌などに取り上げられて話題になった、台所用洗剤、酸、金属磨液などがある

第四には、これらのなかでも最も怖ろしい農薬、殺虫剤がある。実際、これによって世界各地で、すでに驚くべき数の人間が集団的に志望しているのである。・・・・・・工場の煙や残滓による大気や河川の汚染、銅や放射能元素の土壌中における蓄積も、近代生活を蝕む怖ろしい作用をおよぼす。技術文明のおかげで、地球上いたるところ、土や水まで不浄になってしまって、真に自然の名に値するものが少なくなってしまったのである。

このように考えてみると、わたしたちは、・・・・・・過去の時代よりも、はるかに多くの種類の毒の危険にさらされながら、呪わしい近代文明の日常生活を営んでいる、ということになる。』

国に安全性が確認されたとされ加えられる食品添加物。この食品添加物、日本は世界トップクラスといわれることがあります。食文化や認可されているものが違うので、一概に比較はできないものの、海外で危険性を指摘されて規制されている添加物も日本は規制が無かったりするわけなので注意が必要といえそうだ。澁澤の感性は<便利さ>という名の盲点もちゃんと指摘しているのである。(※『』部分、「毒薬の手帖」澁澤龍彦・著(河出書房)から引用)

Follow me!