危険な香りも漂う文学の領域を逸脱した人物か?
「悪魔のいる文学史」澁澤龍彦
澁澤龍彦の本を読むと、始めて知ることが圧倒的に多い。それは逆に、私が無知であるということを意味しています。澁澤龍彦はまさに<圧倒的>という言葉が、ぴったりあてはまる博覧強記。
そしてそれがまた幻想とか妖艶とか異端とかそうした言葉が当てはまる、まるで時代の霞か雲のような、その実態を掴むことが難しい分野において頭抜けているわけですから、眩暈がしそうになります。
その情報量の多さが、一種、ナビゲータ的な役割をも果たしサブカルチャーの分野においてアンダーグラウンドな文化を紹介するのに大きく貢献しんだろうなと。いまでこそネットで検索すれば、ホイホイ出てくるわけですから。
今回取り上げた澁澤の本のタイトルは「悪魔のいる文学史」、副題が「神秘家と狂詩人」とあるのでクラクラしてしまう。上記にも書きましたが、知らないことだらけなので、そこで紹介された人達は始めて聞く名前がほとんど。かろうじて名前程度を知っているのが、エリファス・レヴィ、サド公爵、マゾッホ、ブルドンの4人。
エリファス・レヴィは神秘家にして魔術師、サドは澁澤の本など経由で数冊読んでいる、マゾッホはマゾの語源になっている程度の知識、ブルドンはシュルレアリスム宣言を読んだことがある程度で、それら以外の紹介されている作家は始めて聞く名前。まもで知らない名前の彼等に割かれているページについてはなかなか集中して読むことができないという、澁澤の博学ゆえの落とし穴にはまってしまう。
入ってくる情報を興味深く取り入れるか、その情報を取り入れる行為が面倒だなと思うか、澁澤の本を読むにあたり彼の博学さ、分析力、文章力といったものに驚愕しながらも、私は、こうしたジレンマを抱え込む可能性がある。それが澁澤龍彦という作家の本を読むということ。時に苦行のように、なら止めればと思うのですが、簡単に止められないのも澁澤の魅力の一つ。このまさにそんな本でした。
以下が、澁澤龍彦が紹介した悪魔がいる文学者たち。悪魔のいるとは一体何か?文学の領域を逸脱した危険な香りも漂う熱情に取り付かれた人物。何人の人を御存知だろうか?
↓ ↓ ↓ ↓
●エリファス・レヴィ・・・・・神秘思想と社会変革
●グザヴィエ・フォルヌレ・・・・黒いユーモア
●ペトリュス・ボレル・・・・叛逆の狂詩人
●ピエール・フランソワ・ラスネール・・・・・殺人と文学
●小ロマン派群像・・・・・挫折した詩人たち
●エルヴェ・ド・サン・ドニ侯爵・・・夢の実験家
●シャルル・クロス・・・・・詩と発明
●ジョゼファン・ペラダンとスタニスラス・ド・ガイタ侯爵
・・・・・世紀末の薔薇十字団運動
●モンフォコン・ド・ヴィラール・・・・・精霊と人間の交渉について
●シニストラリ・ダメノ・・・・・男性および女性の夢魔について
●サド侯爵・・・・・その生涯の最後の恋
●ザッヘル・マゾッホ・・・・・あるエピソード
●アンドレ・ブルトン・・・・・シュルレアリスムと錬金術の伝統