澁澤龍彦とメタモルフォーシスと創作の秘密

まだ文学などに血道をあげ出す以前の、ごく幼い少年時代から、私には、超自然のお伽話や夢幻的な物語にいたく心を惹かれる傾向があったが、とりわけメタモルフォーシス(変身)を主題とした物語に対しては、それを読むたびに、一種の生理的恍惚感とも呼び得るほどの、はげしい情動が身内に生起するのを感じたものであった。”(メタモルフォーシス考より)
澁澤龍彦は、この「黄金時代」に収められているエッセイに、そう書き残しているものがある。

それを読み、納得したのは、三つ子の魂百までも、少年時代の時に心ときめかしたものは、大人になってもすんなり入ってくるもんだし、妙に真贋の判断もつくものだということ。心をときめかしたと書きましたが、別の言葉、澁澤の言葉でいうところの“生理的恍惚感”といってしまっても大差ないように思うわけですが、その感性で接したものは、その後の嗜好性や判断基準などにも大きく影響を与えていくことになります。

子供の時から澁澤の嗜好性は、メタモルフォーシスに向かっていたということ、つまり澁澤は文学にふれる前から澁澤的であったわけです。結局彼はその嗜好性をどんどんと拡大させていき探求し、それへの感心によって蓄積された情報で結果的には稀有な存在として名を残すことになりました。

彼の中では意識的あるいは無意識的にせよ、首尾一貫して興味と関心を持ち続け掘り起こしていった結果。そしてその動機の原点は“生理的恍惚”であったということ。モチベーションとしては、これほど強いものはないでしょう。ワクワクすることをやるのが一番いい、成功する一番の要因である、そうしたことを言われる時代ですから。澁澤は独特のジャンルにワクワク感を感じ筆を取ったということ。

それが澁澤の文体にも表れているようにも思います。学者が書いた文章のように難しい語彙を選択することなく、気負うことがない。さりげなくも、流暢な澁澤の文章は、しかし、驚くほどの知の宝庫となっているのですから。さらには分析も的確で、読んでいて唸ることしきりです。

何事によらず、おれは好き嫌いから出発する人間だからね。まず嫌いという厳然たる事実があって、そのあとで理窟がつくわけだ。いま、その理窟をどういう風に組み立てようかと、きみのおかげで、頭を悩ましている最中なんだぜ。

この澁澤の独白の文を読む限り、好きか嫌いかという感情レベルの判断基準で選択しているわけで、それは“生理的恍惚”と同意語と言えます。知性が溢れんばかりの澁澤ですが、その動機は譲れない自己衝動であって、それをまさに文字へとメタモルフォーシスさせて、日本を代表する知の領域の巨人となったということですね。


◆澁澤語録◆

ユートピアは、ユートピアの外の世界に対して完全に無知であり、無関心である。これを要するに、ユートピアの時間は夢の時間と等価のものであり、それはもっぱら過去へのノスタルジアだけで、未来の変化を忌避しようという願望の表われにほかならないのである。夢をみている人間が、いつまでも目さめたくないと考えるのと同様に、あらゆるユートピアの時間はユークロニア(日付のない時間)であり、永遠の現在のなかに凍結しているのである。

人類の共通遺産ともいうべきアンドロギュヌスの神話的観念は、男と女という人間存在の基本的な対立を軸として形成された。このような失われた全体、失われた統一を希求する、いわば人類のノスタルジアの集中的表現なのである。二元論の対立が消滅する、失われた黄金時代の象徴がすなわちアンドロギュヌスである。

※『黄金時代』澁澤龍彦から引用  

黄金時代 澁澤龍彦コレクション (河出文庫)

Follow me!