アンドレギュヌスの幻想:澁澤龍彦「夢の宇宙誌」

『夢の宇宙誌』は、60年代の澁澤龍彦の著作の中で代表的な作品と言われているだけあり、おもちゃ箱のような面白さがあります。それこそ、私の目からすると、本自体がひとつのアート作品として存在しているような印象を与えます。私がそう感じるくらいだから、この本が発刊された当時は、かなりインパクトを与えたんじゃないかなと想像します。

特に本書で面白いなって読んだのがアンドロギュヌスの項。アンドロギュヌスとは両性具有のこと、つまりは陰陽の合体の姿。男と女、その存在と役割の何と不思議なこと。この自然界、雌雄に分かれていて子孫をの残していくという営みを見ることができ、人間の歴史が語られる以前の神話では、男神、女神が出てきますが、もっと前のその、また前をたどっていくとがアンドロギュヌスの存在が見えてくる。

たとえば、古代の異端ともされたグノーシス主義においてその考え方は、光の破れから高次の至高神(=アイオーン)が流失してきたというのですが、男性、女性が一体化した両性具有だったといいます。両性から男性、女性へ神々が分化していったといいます。グノーシス主義だけではなく、様々な神話でもこの両性具有は見ることができるようです。

澁澤龍彦は、この『夢の宇宙誌』で以下のように書いています。

【原初に、二つの性のしるしをもつ唯一の存在があって、それがやがて二つの部分に分かれ、一方が男性、他方が女性になる。そして、この二つの部分の結合から人類が誕生する、―という方程式は、神話において普遍的であるとさえ言える。】

【性とは、栓じつめれば、二次元的になった生命の一つの表現方式、としか言えないのではなかろうか。性的結合は、この二次元性を解消しようとする一つの方法、単なる一つの方法であって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。】

【性が分離したということは、それ以前に未分化の状態にあったところの、後に性として発顕すべき、潜在的性質の存在を当然予想させる。分離したからこそ、ふたたび結びつこうという志向があるのである。そういう欲望を刻印されて、離反したのである。統一すべき一つの離反としての、満たすべき一つの欠如としての、かような性の概念は、もとより繁殖の機能とは何ら関係がない。それは世界の物理的法則であり、偏在するエロスの形而上学的法則である。】

こんな感じである。体の基本的構造は目立つところで、生殖器官を除いてほぼ同じ。アンドロギュヌスのイマジネーションは我々DNAの遺伝子の中に刷り込まれているのか??

失われた記憶としての理想郷の幻想的存在であるアンドロギュヌスを追い求めて、あらゆる文化は歴史にその痕跡を残す。男と女の摩訶不思議な存在。しかし現実は、お互い求め合うも傷つけ合い、すべった転んだでもつれあう・・・。

◆ 澁澤語録◆

“ルネサンスからマニエリズムを通ってバロックにいたる、奇妙に生彩に富んだ、諸神混淆的な、知的洗練と衒飾趣味への工程なのである。”

“迷信ときらきらしたものへの趣好と、奇癖と、混沌と、徹底的な無道徳。それに、物体(オブジェ)に対するほとんどエロティックな執念。しかし、その反面には、狂気じめた知識への愛と、統一への欲求がある。”

“怪物趣味や畸形趣味への偏向は、単に神秘や驚異を好むためというだけでなく、神秘なことや異常なことが、新しい知識への地平線を拡げてはくれはしないだろうかという、漠然たる期待からも由来していた。”

“物体に対するエロティックな執念と、世界に対するメタフィジックな執念。”

“いちばん遊びらしい遊びは何かといえば、神の世界創造の仕事であろう。これこそ本質的に全体をめざした仕事であり、美と崇高さを伴った、いちばん仕事らしくない仕事である。”

“現実のさなかに偽者の世界を創造すること、―そのような意味から、遊びとは、つねに閉ざされた宇宙の創造でなければならない。遊びにふける子供は、小さな玩具の世界に釣り合った、時間空間の縮小された、自分一個の世界に閉じこもる。”

“イメージが現実を証明し、現実がイメージを証明する。真に自律的な想像力は、現実のさなかに、かかる不思議な交感の世界を発見するのである。”

“古来、幾多の魔術師が時計をつくったが、技術の歴史という見地に立って眺めるとき、時計こそ、技術化された魔術、永遠の時間ををメカニズムのなかに封じこめた、最もマニエリスム的な、ファウスト的夢想の小さな実現とも解することもできるであろう。”

“人間の知的好奇心、魔術的探究心―つまり悪魔の呼び声―は、小さな芸術の王国を乗り超えて、はるかに広大な領域にひろがって行くべき宿命をもっているのである。”

“つねに卑しめられ軽んじられながらも、最も官能的に思想を表現してきた逆説の芸術。肉感的な美に対して最も貪欲な精神主義。自然を装飾として、創造を遊戯として理解する極端な主観主義。―それがマニエリスムというものであろう。”

“わたしは、この諸神混淆という現象に異様に心を惹かれる。それは何か、新しい強力な絶対主義の出現による世界の一元的統合以前の、やり切れない、不安な、いつ果てるともなき、崩壊寸前の不気味な過渡期に特有な現象のような気がしてならないのである。”

“ガリバー旅行記を俟つまでもなく、事物が現実の寸法よりも大きくなったり小さくなったりするということには、純粋な想像力の運動としての快感があるのである。哲学上の大宇宙と小宇宙の相関関係も、これに似ている。”

※『夢の宇宙誌』澁澤龍彦から引用

夢の宇宙誌 〔新装版〕 (河出文庫)

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