エジプト「死者の書」、不思議な体験・・・
「死者の書」と呼ばれているもので、代表的なものに、エジプトの死者の書、チベットの死者の書、というものがあります。私は「死者の書」というのに関心がありエジプトもチベットも行ったことがります。実は、エジプトの「死者の書」の関連で、あれと?感じた経験があるので、それは最後に述べるとして、死後の復活を願い独自の文化を築いたエジプトについてです。
古代エジプトでは、ご存じのように死後の再生・復活が信じられており、ミイラが作られました。エジプトの「死者の書」とは、復活のための呪文を冥福を祈り、死者とともに埋葬された葬祭文書のことを指します。この「死者の書」という名称は、1842年にドイツのエジプト学者レプシウスがパピルス文書を『エジプト人の死者の書』と名付けて出版したことで、英訳の “Book of the Dead” などと知られるようになりました。
しかし、古代エジプト人はこの文書を『日のもとにあらわれでるための呪文』と呼んでいました。その内容は、パピルスや棺に、絵とヒエログリフで、死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園「イアルの野」に入るまでの過程や道しるべを描いたものです。
古代エジプト人は、人間を「肉体」「名前」「影」「バー」「カー」と、5つの要素からなると考え、そのうち「バー」は、死後の世界を旅し、頭は人で体は鳥の姿で描かれ、「カー」は死者の墓に供えられた食べ物を受け取る、両肘を直角にまげた腕のすがたで描かれます。「バー」も「カー」も魂にあたるものと言えるのだろうと思うのですが、死後、肉体が腐ってしまうとこの5つの要素も、すべてほろんでしまうと考えられていたので、肉体をミイラにして保存しました。
このミイラは旅に出た「バー」が帰り着く先でもあり、「バー」が自分の肉体を見分けることができるように、ミイラのマスクを使者に似せてつくったといいます。(私の感覚からすると、どれも同じような感じに見てしまうのですが)
ちなみにミイラは、人の活動は心臓が支配していると考えていたため、ミイラに心臓は残し、他の臓器はカノボス容器に入れられました。また、この心臓は死後の再生のために必要なものともされていたのです。
「死者の書」の流れは、死ぬとその肉体はミイラにされ「口開けの儀式」を受けます。この儀式により「バー」は死者の肉体を離れ自由に動き回れるようになり、「カー」も墓の供えものを受け取れるようになります。そして死者の「バー」は西方にあるオシリス神の館を目指す旅に出ます。オシリス神は冥界を支配している神様で古代エジプトではとても重要な神様です。この冥界への旅には、ヘビやワニが邪魔をしてきますが、死者の書に書かれた呪文で撃退することができます。
やがてオシリス神の館に辿りつくと審判の間に入ります。ここで死者が生きていたころの行いが正しかったのか、オシリス神の前で心臓が天秤にかけられます。なんとなく日本の閻魔大王の裁きを連想するわけですが、死んだらどうなるという話のなかで、生前は悪いことはしては、いけませんよという道徳的なことがそこに埋め込まれているののかなと思ったりします。
この審判ですが、「わたしは、〇〇を、しませんでした」と一言も間違えずに告白しなければいけません。たとえば「盗みをしなかったこと」「強奪をしなかったこと」「詐欺をしなかったこと」など42の罪の否定告白をしなければなりません。否定告白というのが面白いです。そしてその告白が、真実か嘘かの判決をくだすために、オオカミの顔をした冥界の神でミイラづくりの神であるアヌビス神は、死者の心臓と、正義と真実の女神マアトの羽根とを天秤にかけます。
そのとき、つりあえば、死者は「声正しき者」とされ、復活を遂げ、「イアルの野」に行くことができるのですが、もし、つりあわなければアミメトという怪物に、その心臓は食べられてしまい、第二の死を迎えることになってしまいます。このイアルの野は運河にかこまれた楽園で、農業をしながら幸せな魂として神々とともに永遠の生命を生きることになると言います。
このように、古代エジプト人が死後の世界や魂の不滅を信じていたことを示しているのが「死者の書」と言えるのです。
私は死者の書に興味があり、エジプトに行った時に、その死者の書の象徴的な場面を描いたパピルスを購入しました。それを壁にはっているのですが、ここだけの話、休日の午後、寝そびりながらボンヤリその絵を眺めていたら、描かれた古代エジプトの神々が、まるで踊っているかのように、ゆらゆら揺れていたので、えっ!と思ったことがあります。他にも絵など壁に貼っているんですが、そこに描かれたものは動いていないのです。エジプトの死者の書をテーマに描いたパピルスのみが動いているのです。目をこすり、もう一度神々をみると、静止していたので、疲れていたのかなー、だからそんな幻覚をみたような不思議な経験をしたのかな?と思ったのですが、それが一度だけではなく3回くらい同じようなことがありました。ユラユラ揺れているんで、不思議なんだけど親近感をもてたというか、変な体験だったわけです。