エジプト・大ピラミッド七つの謎とは?
6月13日(土)NHKでエジプト・ピラミッドの特番が放送されていました。「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」、ナビゲーターはエジプト考古学者の河江肖剰さん、今、最もエジプトとなると登場する学者の方です。NHKなのでそこは考古学的考察を中心に構成されています。間違っても宇宙人が作ったとは構成しないですよね(笑)
そのエジプトですが、私はこれまで2回行ったことがあります。巨大なピラミッドを目の前にすると、やはり圧巻であり、その神秘性は、また行ってみたいと思わせてくれる場所。今度行くことができるのは、いつだろう?そんな想いを込めて、この番組を録画し、メモりながら見ました。この記事はその備忘録です。
2013年の大きな発見
2013年、紅海沿岸の遺跡ワディ・エル=ジャラフから、世紀の大発見があったそうです。その遺跡からは、1000を超えるエジプト最古の大量のパピルスが発見された。そこにはクフ王の大ピラミッドの建造に関わったメレルの日記で、その肉声を伝えるパピルスだった。どのようにして巨石を積み上げたのか?
(1)どのようにして巨石を積み上げたのか?
様々な説があるようですが、最新の研究では傾斜路を使って運んだということだ。それがわかるクフ王と同時代に作られた墓に、その傾斜路の痕跡が残っているという。そして、最新研究では、採石場から傾斜路と大きな穴が発見された。その穴に柱を差し込み、傾斜路と組み合わせて巨石を運んだという。傾斜路をいろいろな工夫をしながら作ったピラミッドを作った。
(2)どのくらいの建造期間だったのか?
メレルの日誌にそのヒントがあったという。ピラミッドは王の在位の期間に作られるという伝統があったそうで、日誌からメレルが採石所から最終仕上げの化粧板を運んでいたというパピルスがあった。そして2年に1回行われていたというクフ王の18回目の家畜調査があったこともわかり、逆算すると26~27年くらいでピラミッドが作られたという。
(3)どのような人々が大ピラミッドを造ったのか?
メインカウラー王の神殿の発掘から住居の跡が見つかった。さらにピラミッドの近くには多くの住居跡が見つかり、そこはピラミッドタウンと呼ばれ4000人が住んでいたそうだ。さらにはパンやビールなど遺物も見つかり、建造の報酬として十分な食事が支給されていた。建造者たちは奴隷のような状態ではなく豊かな生活をしていた可能性があるとのこと。
(4)ピラミッド建造をめぐる戦いとは?
紅海沿岸の遺跡ワディ・エル=ジャラフの海沿いに営舎の遺跡が見つかった。当時はまだ鉄は使われておらず、銅が道具として使用されていた。銅の鉱山は対岸のシナイ半島にあり、ここで船を使って銅を調達していた。その船の木はレバノンから調達。銅の発掘場にも要塞を造った。異民族の攻撃から守るため闘いの準備もしていたという。
(5)ピラミッドは、なぜあの形なのか?
ダハシュールにある屈折ピラミッドにヒントがある。そのピラミッドはスネフェル王がつくったもの。この時代に王国としての土台ができてきて国力を誇示するようになったという。それまでの王の墓は、台形の形をしたマスタバというもの、墓は地下にあった。しかしエジプトにとっては支配者の力が最も神の位置に近づいた時代。太陽信仰とともに、埋葬空間が、地下から上へ上と上がっていった。その際、思考錯誤の末、安定した四角錘となったという。
(6)大ピラミッド建造がもたらした大変動とは?
ピラミッドを建造するために、食料調達として牧場や農場、物資の調達としてインフラの整備など社会的構造変革が起こった。メレルカという宰相は80もの役職をもっていた。つまり官僚が力を持つようになった。なんとメレルカの妻は王の娘。官僚が力を持つようになると現人神だった王の権力は弱まっていく。以後のピラミッドは小さくなっていく。
(7)いかにして永遠のシンボルに?
20世紀最大の発見と言われるツタンカーメンの遺物は、王家の谷といういくつもの王の墓が集まる場所で発見された。王はピラミッド以後、地下へと埋葬するようになった。D峰時に王の権威も形を変えていくことになる。ラメセス2世のアブ・シンベル神殿に代表されるように巨大な神殿を作り、軍事遠征し各国を征服していく。それによりエジプト文化は広まり、スーダンに見られるように永遠のシンボルとしてのピラミッドが復権していくことになる。
番組は最新エジプト考古学をわかりやすくまとめたものなのでしょうが、それにしても実際に目にしてみると、人間業とは思えないピラミッドをはじめとする、エジプトの遺跡群。考古学的考察以上の不思議でロマンを感じさせてくれるものが、そこにはあるように、私には思えてなりません。またいつかエジプトに行ってみたなと思います。