エジプトの「死者の書」について、あれこれ想いを巡らせて

エジプトの「死者の書」と呼ばれているものがあります。この「死者の書」という響きがずっと気になっていました。死者のための本、チベットの「死者の書」もそうですが、「死」という全人類にとって未知なる領域を偉大なる文明が残した本、どんな秘密があるんだろうか?と、その響きが心を揺さぶるのでした。

そもそもは、若い頃にユング心理学の本にはまりそれに関する本をよく読んでいた時期がありました。ユング関係の本は人文書院という出版から出されており、そこで石上玄一郎氏による『エジプトの死者の書』という本があるのを知りました。当時の人文書院の本はクリーム色のカヴァーが共通してついていて、それらの本を手にすることは精神の未知の部分を探ること、そんな印象も持っていました。

石上氏の「エジプトの死者の書」の本(初めてみてから十数年後古本屋で購入)

ただ当時、若いだけの私は千円を超える本を購入するのはハードルが高く、本屋に行っては、何度もただその本をもの欲しそうに眺めているという感じ。そうした想いを抱いた本は何冊かあり、たまたま古本屋に入り見かけると懐かしい想いとともに、若い頃は買えなかったけどと、購入することが度々あります。この『エジプトの死者の書』のその一つと言えます。

で、2012年に森アーツセンターで開催された「死者の書」を中心とした展覧会「古代エジプト展」、これは!と思いそれに行きました。その時、死者の書とはこんなにも長く膨大なのか、と思ったのですが神々の名前やプロセスなどその時はなんとなく頭に入ったけども、しばらくすると忘れしまいました。

10年近く前に開かれた死者の書をメインとした古代エジプトの展覧会のカタログ

数年前にエジプトに行く前に読み始めたのですが、例えばオシリス神信仰の中心地だったアビドスと書かれてあってもピントこないのでした。しかし2度ばかりエジプトに行き機会があり、いまでは、アビドス!あのフラワー・オブ・ライフがある神殿と。やはり、現地に足を運ぶとそのリアリティ感は違います。

さらに、エジプトに行く前後頃に現代の死者の書の第一の研究者・村治笙子氏を紹介していただいたこともあり、その著書『図説 エジプトの「死者の書」』(河出書房)を読むと写真や図も多くわかりやすく説明してあり、より頭に入りやすくなっています。それを想うとエジプトのツタンカーメンをはじめとするファラオの墓が揃っている王家の谷の死者の書を描いた壁画も、神々とその図柄が何を描いているところなのか?がわかるとより一層楽しくなるに違いない。

写真や図が多用されとてみおわかりやすい村治氏の死者の書の本

今回、そのエジプトの「死者の書」について、さらに理解が深まったなと感じるのは、エジプトのトップ観光ガイドのサラハ・アミン氏に「死者の書」の話をしてほしいと依頼したこと。様々な死生観を巡るという企画(「聖なる次元へ」)で、たどたどしい日本語ながら「死者の書」について現地の人に語ってもらったのですが、いくつもの新しい発見がありました。そこで、再度、石上氏の『エジプトの死者の書』を読んでみたら、以前よりもとても面白く深まった感じもしたのです。

サラハ氏の一部抜粋映像です(ぜひご覧ください)

日本では数々の古代エジプト展が開かれていますが、必ず「死者の書」が展示されています。古代エジプトを知るには避けられないひとつ。何故ならエジプトは、「死」というものをとても重視した文明だから。

エジプトに行った時に購入した死者の書のパピルス

そんなエジプトの「死者の書」とは?

古代のエジプトでは、死んだら死後の世界として楽園(イアルの野)に復活することを願っていました。再生するためにはオシリス神の死後の審判を切り抜ける必要があり、その為の呪文を作りそれが「死者の書」として、ミイラと共に棺に納めました。ミイラになるとき、内臓などは取り出され、別のカノポス容器というものに収められます。ただし、心臓は取り出されず護符としてのスカラベを置きました。というのも古代エジプトでは脳とりも心臓に心があると信じられていました。

人は人の頭をもつ鳥(バー)となり冥界への入口へ飛んでいきます。そして様々な困難を乗り越え死後の裁判のへと向かいます。そこで42柱の前で罪の否定告白をしますが、護符のスカラベにより自分にとって不利な発言はしないといいます。この否定告白で間違えた発言をすると、それこそ復活の望みが消えてしまう可能になるからです。否定告白の後、最後に心臓とマアト(秩序)の羽が釣り合うかどうかの計量があります。もしここで釣り合わないと、控えている怪物アメミトに心臓を食べられてしまい復活ができません。

マアトの羽と心臓が釣り合った死者は、オシリス神によりイアル野で再生することが許されます。古代エジプト人にとって、良心のありかは心臓だったのです。世界でも類をみないミイラづくりは、古代エジプトの死後の世界を重要視した死生観によるものなのですが、私はミイラづくりこそしないものの、日本で閻魔大王の裁きを受けるという死生観にどこか似ているような気がしているなと感じたりもしています。ただ古代エジプトのほうが厳しい感じがしますが・・・。

死んだらどうなるのか?ほんとに謎ですね。ワールドワイドな感じで死生観を考えてみました

オンライン配信「聖なる次元へ ~様々な死生観を巡って~」(←クリック)

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