日本にあったユニークな仏教の死生観

「ユリイカ」増刊号(1994年12月)

このところ死をテーマに書いています。今回は1994年12月の「ユリイカ」増刊号についてです。当時は死者の書がとても注目されていたのだと思います。あのユリイカからこのような本が出ている訳ですから。表紙はチベット密教の六道輪廻図、インパクトがあります。

このユリイカ増刊号ではもっとそのチベット密教の死者の書、そして、エジプトの死者の書をはじめ様々な死を巡る論考が掲載されています。どれもユリイカだけあって専門性が高く難しいのが多いのも事実。なかなか全部を読むのは至難の技なのですが、読んでいてそんなのがあるんだと思ったのが、中沢新一氏と彌永信美氏の対談記事にあった大龍という人が書いた「三界一心記(三賢一致書)」というもの。

この大龍さんは臨済宗で立川流。1644年に書かれたというその書は、儒教、仏教、道教は最終的には同じ真理を教えるものとして、神道から易、道教から儒教から中世日本の宗教がごった煮になって出てくるそうです。そしてその主張とは、全宇宙は男女両性が一緒になり合体することによって成り立つ、すべてが男女両性によって生成されるという考え方だというのです。

『日本記曰、イザナギ、イザナミ、天浮橋に立といふは、夫婦和合のところなり。天のさかほこは男の陽なり。アオ海原とは女の陰なり』

『いざなぎは陽なり、男なり、父なり、金剛界大日如来なり。いざなみは陰なり、女なり、母なり、胎蔵界大日如来なり。』

このようなことが書かれているそうです。(難しい漢字はカタカナ表記にしました) そして、

『夫須弥には九山八海あり。我全体にそなわる也。一には妙高山は頭なり。二は、持双山は耳なり。・・・・・・』と身体がマクロコスモスであるという思想が語られていくのだと。

そういう中に突然、人間の胎生学の図が出てきて、受胎後何週目、何ヵ月目というところに、13の仏が守護神としてついている。しかしこの13仏、本来は初7日、49日と人が死んだときに当てはめていくものだから、大龍さんが前提としているのは、〈生まれるということ自体が死の過程だ〉ということになるわけで、〈つまり死んだ人を受胎する、別の言い方をするなら、生まれるということが即、死後の生だと考える〉というのです。

そして生まれる瞬間は頭を下にしてでてくるのを『十月めに、母胎よりまつさかさまにうまれおつるところは、八万四千の地獄のさいしよなり』と、この世を地獄に見立てている思想がそこにあるんだけれども、ペシミズムかというと、そうではなく逆で、〈人間の身体自体、生命活動そのものがすべて法界であり、絶対である、だから地獄も即極楽であり、あるいは法界である、という徹底した現実肯定主義に立っている〉というのです。

これは実におもしろいな思いました。いろいろなものがごった煮となり、地獄も=極楽であり、最終は現実肯定していく思想、このような仏教が日本にあったとは、ちょっと愉快な感じがしないでもありません。(※<>二人は、彌永信美氏は対談の発言から引用)

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