世界中で見ることができる太古の智慧「魂の航海術」

「イメージの博物誌 魂の航海術」スタニスラフ・グロフ著

平凡社という出版社から出ている「イメージの博物誌」という図版がメインのシリーズ本があります。このシリーズの書籍が刊行されていたのは80~90年代にかけて、なので今から4~30年近く前の本ということになります。若い頃、私は経済学部なのに、恋愛の悩み(?)からなんとか解放されたいと思っていた時に、ユング心理学に触れることがあり、その考え方に大いに刺激を受けました。

人の深い潜在意識の部分からイメージが湧きだ図像化されたものを手がかりに、人間の深い心理である集合的無意識にアプローチし、根源的な部分を解明していこうという考え方に、とても興味を持ちました。その読み解きに、人類の象徴的な表現を参考にするという部分が、なぜ、人は創造物を作るのか?その源泉は一体どこにあるのか?という好奇心もそそられたのです。

メキシコ・アステカ族の極楽の図(左)とイスラムのマホメットが大天使ガブリエルの導きで天国に行った図(右)

そんなことになんとなく興味を持っていた当時に刊行されたのが「イメージの博物誌」というシリーズ本。20代の学生であり、その後、就職しサラリーマンであった若き私は、2000円近い本がとても高価に思え、いつも本が出るたびにパラパラとその書籍をめくり、フーッとため息をついてもとに戻すのでした。毎回のテーマが面白そうなんです。占星術、夢、魔術、錬金術、螺旋の神秘、タオ、魂の航海術、ユダヤの秘儀、龍とドラゴン、聖なるチベット、ミステリアス・ケルト、フリーメイソン、アトランティス伝説、ブッダ・・・。どれも面白そうなんですが、金欠、安月給の私には、買えない・・・トホホな感じで。

そうこうしているうちに、人って何者?深層心理って?・・・といった関心は、仕事に追われどんどん薄れていったのです。興味も違った分野に移りました。やがて、中年とよばれる世代になり古本屋でその「イメージの博物誌」を見かけ、あのころ買えなかったことを思い出し、見つけては買うそんなことをするようになりました。(全部は揃っていないのですが)そんな中での一冊が、スタニスラス・グロフ+クリスティナ・グロフ著による「魂の航海術」です。ちなみに初版が1982年となっており1850円の定価がついています。1982年と言えば私は21歳、たしかに1850円の本は手が出ませんでした・・・。

キリスト教で天国の門の前で大天使ガブリエルと悪魔が言い争っている図(左)、エジプト死者の書で死者の心臓が女神マアトの真実の羽との秤にかけられている図(右9

では、その本はどんなことが書いていったのか、そのほんの一部を私の考えも入れながら紹介すると

人においてもっと重要な局面とはこの世界へ「誕生」することと、この世界から別れを告げる「死」と言えるかと思います。誕生することがなければ、この世界を知るすべはありませんし、死んでしまえばこの世界を味わうことができません。当たり前と言えば当たり前のこと。こうやって文章を書くことができるのも、この世界に存在するからです。

人は死んだらどうなるのか?それは大いなる謎なのですが、一つの解釈として人の精神がそこに密接に織り合わされ、無意識の中に強力な表象が潜んでいるということが言えます。太古からの謎である「死」という問題に対して、古代の知識体系の多くが、今よりも無意識の世界へアクセスすることがおそらく容易であり、この謎の糸口となる要素を持っているのでは?と考えることもできるかと思います。

仏教の地獄図、閻魔大王が裁きをしている(左)、キリスト教の地獄図、悪魔が地獄に堕ちた者を燃える息にのせて吐き出している(右)

そこで、古代から続く宗教的伝統や儀式を見ていくと、死は肉体の消滅であるものの、魂は別の次元へ移行する、もしくは、変容するのだとみなすものが多いのもが見えてきます。別の次元へ移行もしくは変容するのだから、古代の人々にとっては、死に関する知識があるか、ないかで未来の転生に影響を及ぼすという考え方があるというのです。

では、その死というものについて、どのように理解していくのか?古代の人々はどのように、死というものが何なのかを理解したのか?そのひとつの方法論として、「象徴的な死」というのがあります。つまり、シャーマニスティックな死と再生のイニシエーション(=通過儀礼)、あるいは、神秘的な密儀による経験により「象徴的な死」というものを体験します。この象徴的な死は、精神的な解放感を高め、人の意識に潜む超越的な部分を垣間見たりすることになります。(まるで、見てきた経験してきたようなことを書いていますが、「魂の航海術」の受け売りであるいこをご了解ください)

いずれにしても、「死」とは、生物的、心理的、哲学的、精神的な最大の危機であり、人生における最も大きな課題であることは間違いありません。

ドレのダンテ「神曲」の挿絵、愛するベアトリーチェとともに天界のヴィジョンを見る(左)、ボスの絵画で浄化された霊魂が神的存在との合一に近づく(右)

よく知られた死後の対極的なイメージとして天国、極楽と地獄のテーマがあります。それは様々な地域、文化で見ることができるので深層心理学のユングの普遍的無意識という考え方を援用することができるだろう。この天国と地獄は相互補完的なイメージであり、死者の魂による彼岸への死後の旅。そこでは非日常的な冒険や試練を経験し、共通のテーマとして、神による審判をみることができる。(エジプトしかり、チベットしかり、日本の閻魔様も)

究極、時空を越えた、二元論からの超越、聖なるものへのアプローチがあり、人は死ぬと「聖なる次元へ」と旅立つのかもしれません。

死ぬこととは、いかに生きるかの裏返し、日々を大切にしたいものです。

聖なる次元へ~様々な死生観を巡って~(←クリック!)

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