メメント・モリ(死を想え)、死者のための本は各地にある
「イメージの博物誌 死者の書」(スタニスラフ・グロフ著)
『古代の「死者の書」に初めて西洋の学者が注目するようになったとき、彼らはそれを霊魂の死後の旅を架空の物語に仕立てたものの、あるいは、死という厳しい現実を受け入れることのできない人々が希望を託して捏造したものにすぎないと考えた。
おとぎ話ー日々の生活とは関わりのない、まったく麗しい幻想の創作物ーと同じカテゴリーに入れていたのだ。しかし、これらのテクストをより深く研究していくにつれ、聖なる神秘と霊性の修行を背景にした手引として用いられ、イニシエーションを受けた者や修行者の体験を記してきたことが明らかになったのである。』(※スタニスラフ・グロフ著、川村邦光訳「死者の書」(平凡社)より引用)
若い頃、読んでみたい本に手が出なかったことは先日書いた通りです。ただ思うに、どうしてもよみたい本は無理しても買うし、図書館で借りて読めるわけだから、そこまでは強く読みたいとは思っていなかったのだろうと思います。若い頃目の前の楽しいことに振り回されていましたから(笑)
ということで「イメージの博物誌」のシリーズはどうしても欲しいというのではなかったものの、とても気になる本の一つでした。今回はそのシリーズの本から「死者の書」です。この「死者の書」と呼ばれているものは、エジプトのものと、チベットのものがとても有名で、このブログでも取り上げたことがあります。
エジプトはミイラとかピラミッドとか、王家の谷とかに、「死者の書」に書かれていることがベースとなっている片鱗が大規模かつ鮮明に残されていますし、チベットも今も続く信仰という形で、その考え方は継続し、たとえば、高僧の生まれ変わりを見つけるということも行われています。(いろいろな問題を含んでいるので、次のダライ・ラマはどうなるんでしょうね)
スタニスラフ・グロフのこの「死者の書」の本にも、エジプトとチベットのことは詳しく触れております。いずれも、死んだら魂は来世に旅立つわけで、エジプトでは楽園に暮らすための方法を、チベットでは輪廻転生において次に生まれ変わったらもっといい人生を送りたいというための方法を書いた死のためのガイドブックのような役割となっています。
グロスのこの本には、エジプト、チベット以外に、マヤの死者の書とでも言うべきものや、キリスト教の死をどう受け入れるのかという指南書のようなものも掲載しております。
まずマヤの場合ですが、私は知識がないのでよくはわからないのですが、絵文書様式の陶磁器があり、それを見ると物語が形づくられ、全体として死者の書に相当するようなものになるそうです。
マヤの神話には、冥界ヒバルバを訪問者し、大変な試練に遭い死と再生を経験するフナプーとイシバランケの双子の物語があるそうです。その双子が冥界ヒバルバの支配者と対決するそうですが、その方法がなんと球技だとか。球技というのがびっくりです。そして双子は火炎の中に飛び込み、5日後に復活する。マヤにおいては、現実的な支配者が双子の化身もしくは子孫と見なされたようで、この双子の話は重要な死と再生を通した霊魂の旅に関する神話であるということです。
そして死と再生のシンボルとして重要なのがケツァルコアトル。ケツァルコアトルとは二つの言葉に由来するそうです。ケツァルとは、輝かしい緑色の羽根を持つ珍鳥を、コアトルとは蛇のことで、文字通り「羽根を持つ蛇」を意味するそうです。このケツァルコアトルは明けの明星、宵の明星の2面性を持った金星と同一視されて、ククルカンという名でも知られています。ククルカンと言えば、春分と秋分の日の2回、チチェンイッツア遺跡の「ククルカン降臨現象」として知られる、マヤのピラミッドに羽根の生えた蛇が出現するあのククルカンです。この金星に同一視されるケツァルコルトルは、その死、冥界の旅、再生を、金星の循環と結びついており、天文学と神話が結びついた例となるようです。
私は南米は行ったことがないのですが、世界を駆け巡っているカメラマンに聞いた話では、視認できる南米の星はびっくりするほど多いと聞いたことがあります。以前、チベットに行った時はそんなに星空を見ることができなかったので、一度は南米の星空を見てみたいと思います。
そしてキリスト教圏の西洋においてもですが、中世にペストが大流行し多くの死者を出した時代に「往生術(アルス・モリエンディ)」という死に関する文献が、あまり知られていないそうですが、出回ったといいます。それは広範囲に渡っていて主に二つのカテゴリーに分けられると。一つは、人生における死の意義を扱った「アルス・ウィウェンディ(生の作法)」と名づけられているもの。もう一つは、死と臨終の体験に焦点が絞られ、死に臨む人々の看取りや情緒的、霊的な援助について書かれたものであるそうです。
『メメント・モリ(死を想え)』は人類不変のテーマなのだと思います。
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