古代エジプト文明が凄すぎた宿命なのか?

「盗まれたエジプト文明」(篠田航一)文春文庫

古代エジプトはまさに人類の歴史の中で奇跡的な文明だったと言えるだろう。巨大なピミッドをはじめスフィンクス、数々の神殿、そしてツタンカーメンに代表される財宝の数々。これほどの過去の文明の遺跡が残っているのは、驚きであり奇跡的といえるのですが、実は墓泥棒、財宝やミイラなど盗掘の歴史でもあった。そんな部分にスポットを当てたのがこの本です。

著者は毎日新聞の記者、なので文章が読みやすい。新聞記者独特の?文体が、スラスラ読むことができます。新聞記者独特のと書いたのは、、新聞に書かれてある文章は、他の書物の文体と比べて簡潔で読みやすいと思っていた。どこがどう工夫されているのかわからないのですが、記者生活の中で先輩写真からこう書けと指導され似たような文体になるのかな?と思ってみたり。

さてエジプトですが、世界の名だたる博物館にあるエジプト関係の目を見張るような遺物、パリのコンコルド広場やイギリス・テムズ川河畔に立つオベリスクなどなど、それらは古代エジプトの遺物を略奪してきた結果である、と。そこにはエジプトから自国へ持ち帰った側の事情、他国へ持ちされれたエジプトの事情など、歴史的情勢における経済の問題や力関係、人の意識、考え方のあり方が本書を読むとあるように思えます。

本書によるとエジプト人の盗掘が盛んな場所としてルクソール西岸のクルナ村、別名、泥棒村というのがあったといいます。住民がわざと古代墳墓の上に家を建て、自宅敷地内を掘り進めているという形をとっていて、彫像やミイラを見つけ出すというのです。結局、そうして得たものを観光客など主に西洋人に闇で売ることで生計をたてていたというのです。いうのです、と書いたのは現在はエジプト政府が遺跡保存のために立ち退きを命じたため、現在は人は住んでいないとのこと。

面白いことが書かれていました、遺跡としての石像。その石像に偽物もある。見ためにはわからないが盗掘に手を染める者なら誰でも知っている見分け方があるという。それは石像の耳にペン先を入れ奥まで通すことができたら本物、偽物はそうなっていない。古代人は耳の穴をしっかりと精巧につくっていたという・・・。文化財なにするものぞ、ある意味で力強いエジプト人なのであります。

一方、西洋は西洋で、エジプトの文化遺産をどんどん自国へと持ち出した。が、そうした結果がエジプト文明の解明のきっかけににもなったのも事実。とくに19世紀、ヨーロパの文化財大量略奪があった。そこにナポレオンがいて、エジプト遠征で多くの専門学者を随行させた。そこで多くのものを残した。私もエジプト展でナポレオン軍がスケッチした砂に埋もれたスフィンクスの絵を見たことがあります。そして何と言ってもヒエログリフ解読のきっかけとなったロゼッタストーンの発見。このロゼッタストーンは大英博物館にあるそうです。

エジプト学は西洋のこうした行為がなかったらもっと遅れていた。エジプト人は自国の過去の歴史に関心がなかった?エジプト人は遺跡に使用された石を再利用、再利用された石の階段にヒエログリフが掘られていたと筆者は書いています。事実、エジプトでエジプト学を勉強するにはフランス語など外国語で学ばないとだめだと、私の知人のエジプト人ガイドの人から聞いたことがあります。

エジプト発掘の中で伝説的な人物がいるといいます。ツタンカーメンを発掘したハーワード・カーターではなく、イタリアのジョヴァンニ・バティスタ・ベルツォーニのいう人物。怪力で鳴らした大道芸人だったそうで、誰も運搬することができなかったラムセス二世の胸像の運搬に成功、そして、あのアブシンベル神殿を発掘したといいます。しかしその手法は荒っぽく、賛否両論の人物。その波乱な人生は、インディー・ジョーンズにも例えられるようです。そのベルツォーニについて書かれた部分は、とても興味深く読んだのですが、以下の文章に吸い寄せられました。

カルナック神殿について「まるで巨人の都に迷うい込んだようだ。その巨人たちは長い戦いの末、みんな滅んでしまった。だが彼らはかつてこの世に生きた唯一の証として、この神殿を後世に残した。私にはそう思える」(「盗まれたエジプト文明」篠田航一・著(文春新書)から引用)。5年前にエジプトに行った時に、初めて巨大なカルナック神殿の柱群を見た時に、私も同じような感覚を感じました。巨大すぎる神殿、人間の身長とそれらの遺跡は大きすぎる気がする。なぜ、そこまで大きなものを作るのか?もしかしたらほんとは巨人の文明だったのでゃ?そう考えると妥当なスケール感でした。実際は出てくるミイラが、現在の人間とは大きさが変わらないので、そうじゃなかったということになるわけなのですが・・・巨人伝説というのは世界中にあるからなぁ・・・??

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