ツタンカーメン、その知られざる側面

「ツタンカーメン」大城道則(中公新書)を読む

エジプトといえば、ピラミッド、クレオパトラ、ツタンカーメンの名前がパッと浮かびます。そのくらい有名な人類の宝が「ツタンカーメンの黄金のマスク」。実際に見ようとすれば、エジプトまで行かねばならないのでそれは簡単ではない。

ところでこのツタンカーメンですが、どこかで見聞きしたことがあるのかもしれませんが、忘れており、今回この本を読むまで2つのポイントとなる知らないことがありました。それは(1)ツタンカーメンの正式名はトゥトアンクアムン/ トゥトアンクアメンであり、ツタンカーメンという呼び名は、ほぼ日本国内でしか通用しないものだということ。 (えっ?知りませんでした)そしてその名前を分解すると、 トゥト 、アンク、アメン。 トゥトは「類似」「似姿」、アンクは「生きる」「生命」、アメンは「アメン神」の意味があり「アメン神の生きている像」「アメン神の生きる似姿」という意味になるということ。

(2)ツタンカーメンには元の名前があって改名したものであること。元の名前は、ツタンカーテン( トゥトアンクアメン )だった。ツタンカーテン?その名には超有名な少年王が生きた激動の時代の痕跡がある。それは、父親である異端の王と言われているアクエンアテンの影響が多大にあったということ。アクエンアテンは、多神教であったエジプトの神々を、アテン神を唯一の神とする世界で初の一神教に変更したという大宗教改革を行ったことにより、息子の名前はツタンカーテンとついたわけだ。

しかし、父アクエンアテンの死により、アテン信仰は結局根付かず、国内も荒れたという。息子である幼き王ツタンカーメンは、カルナック神殿において元のアメン神信仰へと軌道修正の宣言をしたというのです。それによりツタンカーテンはツタンカーメンという名前になり、それが浸透したということなのだそうです。

また、当時の王族はエジプトのオシリス、イシスの神話になぞらい、自分たちの神性や権威を強調するために近親間の結婚が多かったという。ツタンカーメンの妻アンケセナーメンは、アクエンアテンとネフィルティティとの間に生まれた娘。ツタンカーメンはアクエンアテンと別の女性(KV35号墓)との間に生まれた息子。つまりツタンカーメンとアンケセナーメンは異母兄弟の結婚なのです。さらに複雑なことに、アンケセナーメンは、実父のアクエンアテンの子供も出産しているという。現代の私たちからするとそれはちょっと異様な関係と思えるのですが、そうではないということ。

著者の大城道則氏は以下のように書いている。『古代エジプトの神話に描かれた聖なる近親結婚を王族たちが意図的に行ったらことが原因なのである。すべての古代エジプト人に当てはまる習慣ではなく、王族に限定されていたある種特権的な神聖なる行為は また神である王や王族とそれ以外の人々とを決定的に区別するのに役立ったのである。』( 大城道則 「ツタンカーメン」より引用)

ツタンカーメンは幼い時に即位し若死にする短命であったことや、父アクエンアテンが異端の王であることゆえに、エジプト王朝の歴史から葬り去られた王であった。しかし、ハーワード・カーターが20世記最大の考古学的発見とされるツタンカーメンの王墓を見つけたことにより、世界で最も有名なファラオとなった。

その名前は知っていても、よくよく思うと彼の生きた背景などは、ほとんど知らないに等しい。今回、このツタンカーメンに関する本を読んでみてエジプトについてもっと知りたいという気持ちになった。そして、またエジプトに機会があれば行ってみたい、そんな気にさせてくれるのでした。

カイロ考古学博物館でツタンカーメンの黄金のマスクとともに
ツタンカーメン 「悲劇の少年王」の知られざる実像 (中公新書)

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