イスラエル聖地巡礼③ ユダヤ人離散の歴史的場所マサダと復興の礎となったキブツ
ユダヤ人が離散することになった歴史的場所マサダ
2018年12月イスラエル聖地巡礼3日目、イスラエルの死海の幻想的な夜明け。海抜マイナス400mの世界で一番低い場所である死海の両サイドは巨岩剥き出しの岩山です。日が昇る向こうはヨルダン。塩分濃度30%という水面に映る朝焼けも美しい。
この日の午前中はマサダに行きました。このマサダ=要塞は、ユダヤ人が2000年に渡る離散の民(ディアスポラ)となる歴史的事件があった場所。2000年前、ローマ軍によってエルサレムが陥落し、残ったユダヤ人約960人が抵抗して立てこもった砂漠の緑がない荒れ野にある丘というか山のような場所。そこへはロープウェイに乗って向かいます。ユダヤの民はそこに立てこもり、1万人以上のローマ軍に取り囲まれ抵抗しますが、最後は集団自決を選択し、そこからユダヤ人の流浪の歴史が始まったと言われている重要な場所です。イスラエルは男女ともに徴兵制があるのですが、ディアスポラを忘れるなということで入隊式は、ここマサダで行われると聞きました。実際にこの地に立つと、歴史的な重みを感じるとともに、周りの絶景に圧倒されました。
イスラエル発展の原動力キブツの仕組がすごい
キブツの住居、かつて砂漠 牛を飼っていた
そしてマサダを出て、イスラエル発展の原動力となった社会主義的集団農場キブツに行きました。現在は少し制度が変わっているようですが、建国当初は、イスラエルに移民してきたユダヤ人は財産をキブツにすべてを預け、平等主義で生活、子供もキブツ全員の子供という感覚で育てられるようです。つまり、イスラエルは世界に散らばったユダヤ人の移民を受け入れ、衣食住を保証し、国力をつけてきたわけです。イスラエルを目指してきたユダヤ人も安心して溶け込んでいくことができるわけです。
キブツのホテル キブツの住居
そのキブツが砂漠を農業の技術革新で緑地化、イスラエルの食糧事情は自給率99%で完全無農薬というから、すごいではありませんか。実際、食事で野菜を食べるとそのエネルギーの高さに驚きます。日本で食べる野菜とは大違いなのが実感できます。イスラエルの野菜を食べると日本の野菜はどうなんだろうか?と思ってしまいます。さらに、キブツが農地のみならず、学校や牧場なども経営しており、一大経済ゾーンを形成しているのです。そしてその夜は、ガリラヤ湖近くのキブツが運営するホテルに宿泊、ここもよかったです。
イスラエルに滞在するにつれ、この日はイスラエルの歴史と対応のすごさを感じるとともに、逆に日本という国を考えていくきっかけになってきています。