何が現実なのか映画「マウス・オブ・マッドネス」狂気の世界へ

映画「マウス・オブ・マッドネス」 (1994年)
■監督:ジョン・カーペンター
■出演:サム・ニール、ユルゲン・プロノウ、他
私にとってジョン・カーペンター監督の傑作といえば「遊星からの物体X」なんですが、この映画「マウス・オブ・マッドネス」も、それに匹敵する作品と言えます。DVDで見たのですが、もし映画館の大きなスクリーンでリアルタイムで観たとしたら・・・そのインパクトたるや、けっこうすごかったのではと想像します。
この映画は見る人によって物語の捉え方が大きく違ってくるという、軽くは笑えない重層構造を持った映画なのです。「マウス・オブ・マッドネス」は、本によって影響を受け世の終末を迎えようとしている現実の世界の話なのか、始めから終わりまで全く小説の世界を映像化した話なのか、はたまたこれは現実の話などではなく一人の精神が錯乱した保険調査員の話なのか、見た人によって物語の受け止め方が違ってきて、いかようにも見ることができる映画に仕上がっているのです。
この映画は、そうした点において一回見てもケムに包まれたような感じになり、多様な解釈を生むというということは、この映画、ただのホラー映画ではない、実はタフな映画なのです。私はその多層性に驚かされました。疑問符の連続の最後に最早、狂気による笑いしか残されていない。
なんかよくわからんけど、すごい映画だなと。見ている自分が主人公のように狂気の淵に陥りそうになる。この没入感はすごいのだ。
この映画はH・P・ラヴクラフトの小説へのオマージュで根底にクトゥルー神話があるとされているのですが、それを知らなくても十分に面白い映画。私はそれをよく知らないですが、とても面白く見れたわけですから。
見える世界と見えない世界、この現実の境界性、過去・現在・未来という時間軸、現実の世界と想像・妄想の世界、正常と狂気の境目、権力と被支配の関係、メディアによる洗脳などなど、私たちがよって立つ世界の確かさと不確かさのせめぎあいを感じることができれば、もうそれで充分この映画の効果は発揮されたのではないでしょうか?
ところでこの作品を面白くしていたひとつに主人公を演じたサム・ニールの熱演もあることを指摘しておこうと思います。かなりぶっ飛んだ演技をしています。彼の熱演が、狂気に陥る恐怖を倍増させたと思います。