何が現実なのか重層な世界が構築された映画「マウス・オブ・マッドネス」の狂気
映画「マウス・オブ・マッドネス」 (1994年)
私にとってジョン・カーペンター監督の傑作といえば「遊星からの物体X」。この映画「マウス・オブ・マッドネス」はそれに匹敵するかのような作品と言えます。DVDで見たのですが、もし映画館でリアルタイムで観たとしたら・・・そのインパクトたるや、けっこうすごかったのではと想像します。
私はジョン・カーペンター監督を超B級映画の巨匠としてみているように、この「マウス・オブ・マッドネス」もB級という点ではその路線に並ぶものだと思いますが、それゆえにこの映画が提示する世界観は、変な展開だから笑えるのではなく、逆の意味ですごい映画なのだと思います。
この映画は見る人によって物語の捉え方が大きく違ってくるという、軽くは笑えない重層構造を持った濃厚な映画なのです。「マウス・オブ・マッドネス」は、本によって影響を受け世の終末を迎えようとしている現実の世界の話なのか、始めから終わりまで全く小説の世界を映像化した話なのか、はたまたこれは現実の話などではなく一人の精神が錯乱した保険調査員の話なのか、見た人によって物語の受け止め方が違ってきて、いかようにも読むことができる映画に仕上がっているのです。
この映画は、そうした点において一回見てもわからない多様な解釈を生むという実はタフな映画なのです。B級映画と呼ばれてしまうジャンルの作品の中で、こんなことを感じさせてくれるそうはありません。私はその多層性にまず驚かされました。
疑問符の連続の最後に最早、狂気による笑いしか残されていない。
すごい映画だなと。この映画はH・P・ラヴクラフトの小説へのオマージュ、根底にクトゥルー神話があるとされているのですが、それを知らなくても十分に面白い映画。私は両方ともよく知らないですが面白く見れたわけですから。
見える世界と見えない世界、この現実の境界性、過去・現在・未来という時間軸、現実の世界と想像・妄想の世界、正常と狂気の境目、権力と被支配の関係、メディアによる洗脳などなど、私たちがよって立つ世界の確かさと不確かさのせめぎあいを感じることができれば、もうそれで充分この映画の効果は発揮されたのではないでしょうか?
ところでこの作品を面白くしていたひとつに主人公を演じたサム・ニールの熱演もあることを指摘しておこうと思います。かなりぶっ飛んだ演技をしています。