時代が経てもどこか色褪せない「ニューヨーク1997」

映画「ニューヨーク1997」(1981年)

■製作年:1981年
■監督:ジョン・カーペンター
■出演:カート・ラッセル、リー・ヴァン・クリーフ、アーネスト・ボーグナイン、ドナルド・プレザンス、他

ジョン・カーペンター監督のカルト的人気がある映画「ニューヨーク1997」。ニューヨーク1997というタイトルには、少し不思議な感覚になる。というのは、1997年という未来はとっくに過去になり、そこからさらに長い時間が流れているからだ。

ジョン・カーペンターが1981年に作った1997年のアメリカは、犯罪が激増し、ついにはマンハッタン島そのものが巨大刑務所になるという極端な社会だった。都市が丸ごと監獄になるという発想は、いまという時代から見ると、荒唐無稽に見えてしまうも、映画がつくられた1981年から見ると、当時のアメリカは犯罪が増え続け、ニューヨークが無法地帯化し、秩序を守るという名目でこんな発想も生まれてきたのかもしれない。

物語はシンプルだ。大統領がマンハッタンに墜落し、元特殊部隊員の犯罪者スネーク・プリスケンが救出に送り込まれる。スネークは動脈に小型カプセルを打ち込まれ、それの有効時間は24時間。それを過ぎれば彼は命を落とことになってしまう。この設定だけでも十分に乱暴だが、考えてみれば犯罪者だから使い捨てていいという発想自体が、かなり危ういとも言える。秩序を守る側の論理も、すでに無法者と大差ないのではないか?

スネークというキャラクターが面白いのだ。長髪で、片目のアイパッチ、アーミーパンツに、革ジャン、黒のシャツといったビジュアルがカッコイイ。彼は筋骨隆々の無敵ヒーローではないし、正義のために戦うわけでもない。ただ自分の信念を貫く寡黙でクールな男だ。この独特な雰囲気が、後年、人気が出たのは無敵のムキムキマンにへきへきした部分もあったのだろう。

劇中で印象的なのが、スネークと署長のやり取りだ。初対面で大統領救出の任務を理不尽なやりかたで命令を出した署長は、彼を「プリスケン」と呼び、彼は「スネークだ」と言い返す。ところがラスト、ギリギリの時間で救出させた後では逆に、署長が「スネーク」と呼ぶと、彼は「プリスケンだ」と返す。この冒頭とラストの反転は、スネークが大統領を命がけで救出したものの、当の大統領は感謝するの一言で済ませてしまい、どんな名前であれ、お前たち権力側に規定されるつもりはないという、スネークの反骨精神が現れていると感じた。

この映画、低予算で作ったと言われているからか、アクション映画として見ると、どこか奇妙だ。タイムリミットが迫る緊迫した状況のはずなのに、演出はどこか淡々としている。いわゆるハリウッド的な計算された盛り上げ方ではなく、場面によっては「あれ?」と思うような粗さもある。だが不思議なことに、それが作品の流れを壊すことはない。むしろ、その荒削りな手触りこそが、カーペンターらしさとして画面に滲み出ている。音楽もまた特徴的で、カーペンター自身によるシンセサイザー主体のスコアは、派手さを抑えた反復的なものだが、その無機質な響きが荒廃した都市の空虚さを際立たせているのだ。

こうした要素が重なり、「ニューヨーク1997」は今見ると、その評価の分かれる映画となりそうだ。低予算ゆえのチープさが目立ち、ストーリーも単純である。が、一方で、その粗削りな質感とスネークと言うキャラクターが魅力だと感じる声もあるだろう。私はこの作品好きで、惹かれてしまう。結果この映画は、大ヒット作にはならなかったが、後年に評価を高めたカルト作品となった。完成度の高い映画ではないかもしれない。だが、その不完全さゆえに、どこか引っかかり続けるのだ。

ジョン・カーペンターの映画は、B級といえばB級作品と呼ばれるものが多い、ただし「超」の文字が付く超B級と言える。「ニューヨーク1997」はB級映画史の中で燦然と輝く星と言えるでしょう。

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