言葉の錬金術師が魅了する/昭和のマルチクリエイター!
「イラストレーターが挑む 寺山修司の言葉」展
もう会期は終わってしまった(10月22日終了)のですが、偶然遭遇した〝寺山修司”の世界。
10年以上前になると思いますが、寺山修司の映画「田園に死す」を見て、強いインパクトを受け、その数年間はひたすら寺山修司を追っかけていた時期があります。寺山修司が生前大活躍していた頃は、寺山が提示する前衛的なものが暗くあまりなじめなかったのですが、死後何年もたってから寺山修司の魅力に気がついたのでした。
なのでリアルタイムで寺山修司を感じたのではなく、その残像を追っかけたのでした。何冊もの本を読みました。おかげで歌集や戯曲集だらけ。寺山の戯曲を上演する演劇も足繁く通いました。青森の記念館や三沢、「田園に死す」の舞台となった恐山も・・・。知れば知るほど寺山修司という天才性に驚かさせられたのでした。
今の世代からすると寺山修司が構築した世界は、古き昭和って感じがするかもしれません。寺山は当たり前に映る世界に異物を投入し、いかに自分の立っている世界が危うくもろいものであるかを提示したのでした。寺山の紡ぎ出す言葉は感性の扉をこじ開けて、別の地平を見せてくれます。そしてそれら言葉の数々は、象徴的で含みを持ったものであり、転倒した世界からの呼びかけなのだ。
そして、それらの世界と裏腹に、私が寺山修司に注目したいのは、それらの言葉がカッコいいのである。ロマンがあるのである。たとえば・・・
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司 短歌より)
涙は人間のつくる一番小さな海です。(寺山修司 少女詩集より)
ということで、渋谷のBunkamura Box Galleryで10月22日まで開催していた「イラストレーターが挑む 寺山修司の言葉」展。その前を偶然に通りかかり、懐かしくも寺山修司という引力で足を止められたのです。
展示は寺山修司が残したまさに「言葉の錬金術師」と呼ぶにふさわしい数々の言葉に影響を受けて、新旧のイラストレーターが絵を展示していました。
◆寺山修司の言葉・・・(展覧会で使われた言葉)
「懐かしのわが家」
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体ととなるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森県浦町字橋本の
小さな陽あたりのいいゝ家の庭で
外に向かって育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ
この世で一ばん遠い場所は
じぶん自身の心である
一夜にて老いし書物の少女追う最後の頁に地平をすかし