男の影に黒髪の女ありなんだけど、いまやSNSでその神話も崩れた?
「さかさま文学史 黒髪篇」寺山修司(角川文庫)
男の影に黒髪あり。鬼才・寺山修司が日本文化史に残る文豪、あるいは芸術家の影には女性がいた。そんなことをあらわにして書いた本まずが。目次にそって登場した女性と男達の名前を並べてみた。
◆女優・泰子
天才詩人 中原中也を苦しめた女、『山羊の歌』のかげに
◆芸妓・小奴
放浪詩人 石川啄木の心残りの女、『一握の砂』のヒロイン
◆姪・こま子
近代文豪 島崎藤村のざんげ女、『新生』のヒロイン
◆少女・お島嗣
叙情画家 竹久夢二に描かれた女たち、『宵待草』のいけにえ
◆同級生・おみか
情熱作家 小山内薫の遍歴、芸妓から実の母まで
◆婚約者・矢野綾子
叙情作家 堀辰雄の悲嘆、若くして逝った婚約者『風たちぬ』の令嬢
◆愛人・山崎富栄
天才作家・太宰治に溺れた女たち、絶筆『グッド・バイ』まで
◆妻・智恵子
彫刻詩人・高村光太郎の孤独な愛、詩集『智恵子抄』の明暗
◆隣人の妻・俊子
総合詩人・北原白秋の苦い片恋、処女歌集『桐の花』の情愛
◆母・お春
市井詩人・室生犀星の永遠の女、『愛の詩集』の卑下・愛・尊敬
◆妻・すず
耽美作家・泉鏡花が得た至上の愛、代表作『婦系図』の実像
◆女給・一枝
無頼作家 織田作之助の孤独な彷徨、『夫婦善哉』の無償の愛
◆下宿のおばさん
詩人画家 村山槐多の悲しい放浪、『湖水と女』のモデル
◆踊り子・フェルナンド
異端画家・藤田治の愛の放浪、女と画とモンパルナス
◆妻・美千代
反逆作家・坂口安吾のやさしい女、『堕落論』と悲痛な戦後
◆妻・美千代
抵抗詩人・金子光晴が尽くした女たち、自伝が綴る絶望と悲惨
◆女優・須磨子
新劇作家・島村抱月が溺愛した女、カチューシャの歌姫
◆愛人・野枝
思想家・大杉栄と共に散った女、命を賭けた恋の生涯
◆妻・のぶ子
恐怖推理 黒岩涙香に復讐した妻、横溝正史ブームの元祖
日本の近代文化を担った小説家、詩人、画家などの芸術家らの女性との色恋。たとえば小説家は言葉を操る魔術師、それは文字、文章という手段を通すと二重三重のベールに覆われ華美に装飾されてしまう。どんなに身勝手で無責任な主人公でも、その作品を読む読者は勝手に幻想をいだいてしまう。あの作家はいい男に違いないなんて、頭に描いてしまう。読者は勝手に想像力を働かせ、彼らの作品を通してそれを生み出した作家を理想的な人間として偶像を作り上げてしまう。そんな一面は絶対にないとは言えないだろう。
寺山修司は、彼ら芸術家に残された様々なキーワードを手がかりに、彼ら芸術家の恋愛とてけっして美化されたものではなく、我々と等身大の同じ色恋に翻弄される一人の男にすぎないことを暴いていく。それは、華麗な芸能人同士の理想的とメディアでもてはやされるカップル、それは作られたイメージでしかなく、ある意味、お金を生み出すためのイメージ装置にしかすぎない。彼らとて我等と同じ。
そんなことは、今という時代はあたりまえのような感覚を持っている。いいのか悪いのか、SNS全盛でそんな幻想は瞬時に化けの皮をはがされてしまう。さらには、誹謗中傷まで飛び交うので当の本人はたまったものではないだろう。息苦しい時代。
しかし、寺山修司が活躍した時代は、マスメディアがマスメディアたる時代だったので、まだまだイメージ、幻想に翻弄される時代だった。そこで寺山はそんなことないよ、俺たちと同じだからさと、独特の視点で暴いて見せた。
寺山修司は作家という自身の立場から同じ人種の先達の表層のイメージをペロリと剥いでいくのである。男の影に黒髪の女あり。吊るし上げられた彼らの行為は同じ同性として分かる部分もあり、またそれに対抗する女のしたたかな面も隙間みせ楽しく読めた一篇。
いつの世も、男と女は変わらない・・・。