実際に起こらなかったことも歴史のうち「花嫁化鳥」で民俗文化を探る

「花嫁化鳥」寺山修司(角川文庫)

この本は1973年に「旅」という雑誌に連載された紀行文をまとめたもの。しかし、日本のサブカル史の中でも前衛として異彩を放つ寺山修司の紀行文ゆえただの旅のエッセイにはなっていない。

訪れた場所はサブタイトルの日本呪術紀行とあるとおり、

風葬で死者を弔った島

幻の類人猿が現れたという山

犬神伝説が息づく地

見世物小屋が立ち並んだ江戸川乱歩的繁華街

刺青の男達も競う裸まつりが開催される地

廃止が決まっている草競馬場

新婚旅行のメッカとなっている温泉

鯨の子供の墓がある鯨漁が栄えた地

キリストが渡来し骨を埋めた地

歌舞伎劇場並みの小屋がある炭坑

とその土地に伝承されている伝説、習俗、風俗を手がかりに寺山修司らしい切り口で、隠された日本の原風景を見るかのような不思議な紀行文となっている。

そこに登場する土地の人と語らう中で、想像力は飛翔し新たな奇譚を紡ぎ出していく。土地土地に伝承された習俗は、けっして大声で言うことができない人間の深い部分に根付いている根源的本質が見てくるようにも感じます

寺山の文章は陽気さを装いうも独特の暗さと重さがある。どれが土着で根暗でドロッとへばりつくような感覚があるものの、現代はそうしたものは嫌われ、流行りにもならない。ある種、ファンタジーネタとして無毒化されてしまっている。かつて日本が持っていた民俗的な文化というのもも、TOKYO(東京)とリトルTOKYO(地方)の差程度でどこかに消えてしまったのか、害がない観光ネタの一つになっている気がしないでもない。

寺山修司がこら奇異な場所を選んで書いたのが50年前のこと。今じゃすっかり有名になった青森の戸来村のキリストの墓(私は行ったことがないが、51コラボでツアーを企画したことがある)。伝説ではキリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられたのは弟のイスキリだった。キリストはパレスチナを逃れて四年間漂流し、八戸市にたどりつき十来太郎大天空と名乗り、ミエ子という二十歳の女性と結婚し、106歳で没したというもの。

私は現地に行ったこともないので、詳しいことは書けませんが、寺山修司の話の展開が面白い、古文書にキリストが来たのが「処刑から4年後の2月26日」いくら何でもはっきりしすすぎているのでは?2000年前の暦のない弥生時代にどうしてはっきりした日付が出てくるのか?「もっとも、と私は思った。細部は粉飾されることもありうるだろう。」⇒「細部がでたらめだからといって、全体を否定してしまうのは、二流の探偵のやることだ」「まだ雪の残っている八戸市鞍の港に、上陸したことは事実かも知れないではないか。」「港に一人のユダヤ人が上陸し、「十来太郎大天空」と名乗ったとしても、それがキリストだったという根拠にはならない」「情報のない古代社会でその真偽を見分けることなど誰にできただろうか?」

さらに寺山修司が「田園に死す」の舞台にもした青森の恐山。ここには「口寄せ」(死者を呼び出し会話することができる巫女)するイタコがいる。面白いことに昭和11年に小谷部全一郎博士なる人物が、イタコに口寄せしキリストを呼び出した記録がある。それによると伝説の通りの内容で、当時日中戦争のさなかであり、イタコはキリストの発言として「吾は人の眼には見えざるべきも、純白の姿で、日本の国を守り、日本の神道を拝して神に祈り、日本の勝利に助力する」という記録があるらしい。そして寺山はこのように書いているキリストが青森に来て死んだのかどうかはわからない、だがはっきりわかることがあるとして、「それは、青森県の人たちが、この話を真実と思いたがっていることであり、歴史の中にキリストを必要としていた、ということである」。ここに寺山修司の、実際に起こらなかったことも歴史のうちだと、自身の生い立ちも虚構で固め自伝を書いた彼独自の歴史観があらわれているようにも思います。

寺山修司は過去のサブカルの人、ちょっと暗いしね~なんて思う人も多いと思うけど、彼の視点は今でも私たちに突き刺さるものがあると思うのです。

◆寺山語録~「花嫁化鳥」より~◆

“人が「在る」ものではなく「成る」ものであることを知る自由に立ちふさがるなどできない”

“ふいに戸があいて、「まだかくれていたのかい」という声と共に、背広を着、あるいは子どもを抱き、髭をたくわえ、すっかり大人になってしまったかくれんぼ仲間たちがそこに立って私をわらいだすのだ。”

“画面が灰色なんだよね。つまりさ、人生が灰色なんだよね。それが、ナオンがでてきてホテルにしけこむとさ、パーッと色がつくでしょう。ベットシーンだけ総天然色になる。わかってるんだよね、要するに。”

“私は、人間が裸になることは、一つの変身だと思っており、それは「生まれたままの姿になる」ことでも、「ありのままの正体をさらす」ことでもなく、むしろ逆だと思っていたのである。”

“私は、かねがね「全裸で人前に出る」ということは一つの虚構であると思っており、それを合法化している銭湯に興味を持っていた。一所に裸の人間が何人か集まるということは、それ自体ですでに「かぶく」ことであり、劇的であり、祝祭的であるからである。”

“裸はどんな衣裳よりも劇的であり、人工的であり(たとえ、何の装飾を加えられなくとも、だ)―その上、不可視の現実、かくれている半世界を想像させてくれる。”

“私は、結婚はきらいだが、花嫁と新婚旅行はすきだった。結婚には、日常性がつきまとうのでわずらわしいが、花嫁とか新婚旅行は虚構だからである。”

“どんなに長びかせたとしても、女の子が花嫁でいられるのは「式の始めから終わりまで」のほんの数時間のことであり、あとの数十年は、妻か母になって暮らすことになる”

“合理主義からでは生まれてこない無駄なものの中にこそ、文化が存在する”

“舞台の上で国定忠治が何人を叩き斬ったところで、客席にいる観客には「御用」もかからなければ、肩の荷も下りない。劇は、むなしい「出会い」の偶然を求めて、繰返されてゆくしかないという不条理を、私たちに課すばかりなのである。”

“実際に起こらなかったことも、歴史のうちである”

“「わたしはただの現在にすぎなかった」のであり、先を急ぐことも、あと戻りすることもできぬ”

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