ただただ感じればいい映画「ボーイ・ミーツ・ガール」
映画「ボーイ・ミーツ・ガール」(1984年)
■製作年:1984年
■監督:レオス・ カラックス
■出演:ドニ・ラヴァン、ミレーユ・ペリエ、他
不思議な魅力を感じさせてくれる映画を創るのがレオス・カラックス監督、そのデビュー作品である「ボーイ・ミーツ・ガール」。で、この映画なんですが、タイトルから連想されるフレッシュなワクワクのストーリー性を持った作品か?という前提で見ると大きく期待を裏切られるのです。
なぜならたいしたストーリーもなく映像は展開されるから。むしろ独特の映像文法でもって見せられる画面を、ひたすら感じていくといった方がいい。なにかに似ているな?と。このレオス・カラックス監督が映画界に登場した時は、ネオ・ヌーヴェルバーグ、ジャン・リュック・ゴダールも再来か?と言われたように、この「ボーイ・ミーツ・ガール」はゴダールの影響を強く受けているのではないだろうか、私も思います。
というのは、ゴダールの名作「勝手にしやがれ」の感性をカラックスの感性で再構成してみせた映画といふうに見えたからです。
だから大まかな話の展開はあるものの、細部は別のこと語っていることが多い。そうしたメインとなる幹と直接関係ないエピソードが羅列されているのですが、振り返って考えると、人が生きているその瞬間、瞬間はメインの幹と全く関係ないことを考え、全く関係ないことに遭遇していることが実際は多いということが、あらためて感じとることができます。
言ってみれば、ほとんどが成り行きの展開の積み重ねになっているのが人生とも言えるわけで、この映画はその相似形のようになっているな?とも思えるし、ある意味で哲学的要素をさりげなく新鮮な形で盛り込んでいるともいえるのかもしれません。
この映画で印象的なのは、ボーイを演じたドニ・ラヴァンという俳優の存在。強烈です、そしてカラックスはその後ドニ・ラヴァンを主役とした映画を創ることになります。
いずれにせよ、ゴダールの影響をうけながら作った「ボーイ・ミーツ・ガール」は、映画の主人公であるアレックスという役はカラックスそのものであり、そのアレックスを演じたドニ・ラヴァンとカラックスもイコールの関係なんだろうなと、想像を飛躍させることができること。
1980年代、多感な時期を生きてきた私にとって、 レオス・ カラックス は同時代の映画監督なのですが、その時代は映画に引き寄せられ、そして、反発し映画を見ることがなかった時期。カラックスは見ない時期に台頭した監督。それが数十年経って観ると、公開当時に観ておきたかったなと思える感性の鋭いクリエイターなのでした。