【欲望の資本主義に宗教はどう向き合うのか?性と宗教】
「性と宗教」島田裕巳(講談社現代新書)
最近、近かしい方の葬儀がありました。が、そこでお呼びした僧侶へのお布施の金額を聞いたら、なんとも納得がいかない気持ちになりました。一体、時給換算したらいくらになるの?世間のアルバイトの100倍もある。そのとんでもない金額、僧侶自らこの金額で、と言ったらしいので驚きを隠せませんでした。
宗教の姿はどうあるべきなのか?少しばかりビジネスに結び付き過ぎているのでは?全部が全部そうだと言いませんが、世の中には困っている人が多くいます。聖職者たる人は弱者救済のためにもっとやることがあるんじゃないのかと思ったりします。
この本は性と宗教の関係性について書いています。お金も性も人間本来の欲望と分かちがたく結びついています。いずれも自身をコントロールするのが難しいもの。人間としてどう生きるべきかという大きなテーマがそこには流れています。
性と宗教、たとえばカトリックの聖職者による少年への性的虐待がニュースなどで話題になりますが、キリスト教は原罪と贖罪の考え方があり、それがベースとなっているので聖職者であるものは独身を通さねばならない。神に使えるまえに一人の人間である故に、持って生まれた性的欲求をどこかで満たそうとするために、そんな問題が起こってくるのだと思います。
ちなみにそのスタンスは同じ系列でも考え方により変わってきます。ユダヤ教、イスラム教もキリスト教と同じ神を信仰しているものの、ユダヤ教とイスラム教は原罪と贖罪という考え方がないので性的にはおおらかだと言うのです。しかしキリスト教にはアウグスティヌスに端を発した性的な問題と信仰の問題もあり、また教会という信仰維持装置の存在感を誇示するためにも、女性との関係性において厳しい戒律が形成されたと言います。
それは仏教も基本は同じで、出家しておれば女性との性的な関係を結べば戒律をおかしたことになると、いわゆる女犯すれば、破戒僧となってしまうというわけですが、なかなかそうはいかない。戒律にしたがって禁欲することは難しく女犯は絶えなかったと言います。
あの豊臣秀吉は僧侶の女犯肉食を禁止し、破戒僧を追放する法令を出したそうです。それは江戸幕府にも受け継がれていき、明治になってようやく僧侶の妻帯が政府が許可を出したということなのです。こうした流れは、逆を見ればその昔から法令を出さねばならないほど破戒僧が多かったこと、そして妻帯が進んだことにより、日本の仏教界では聖職者の性的虐待の問題が進まなかったと言えそうな気がします。
ところで戒律で、妻帯を禁じられた仏教ですが、鎌倉時代に各宗派の活動が展開されるのですが、その中で唯一妻帯したのが浄土真宗の祖・親鸞という存在があります。親鸞の自筆である「教行信証」においては、性の欲望が強く僧侶でありながら妻帯に踏み切ったということが書かれていると言うのです。
そして親鸞が聖徳太子から授かった夢のお告げという「女犯偈」、親鸞が京都の六角堂に籠った時、観音菩薩が現れ、」もしそなたがその業によって女性と交わらなければならないなら、自分が玉のような美しい女性となって犯されよう。そして生涯にわたって助け、臨終の時には極楽へ導こう」と告げ、聖徳太子は観音菩薩の化身のたそうなったと。
なかなかこれは、一面で問題を孕んでいるのではないか?と言えそうな気がします。
さらに師である法然が弾圧され門下は死罪や流罪になった承元の法難の時に親鸞は「僧にあらず俗にあらず」として流罪にはならなかったそうです。公然と妻を妻帯する親鸞の生き方が、浄土真宗の発展の仕方に大きな影響を与えることになっていった。中興の祖とされる蓮如は、南都六宗や比叡山といった既存の宗派で出家得度し、妻帯して本願寺の法王になり、以後そのパターンが踏襲されたと言います。
僧侶が妻帯することは女犯であり破戒になる。浄土真宗の歴代の法王は一度は出家得度しているので破戒になるのではないか?なんと蓮如は5回の結婚で13人の男子と14人の女子をもうけたのです。すごい精力(笑)男子は寺の僧となり、娘は寺に嫁いた・・・この広がりが浄土真宗の発展に一役買った可能性もあると。
聖職者が妻帯しないというのは世界的に見るとカトリックと仏教にみられるそうで、他の宗教では妻帯者が多いといいます。私は特定の信仰心がないので、なんとも言えないのですが、妻帯を禁じると性的エネルギーが滞り、別の意味でそのはけ口を見出し、いびつなことにもなりかねないので、妻帯してもいいんじゃないかと思いますが、行き過ぎはやっぱりよくないだろうと。
宗教とは生き方、人の道を問うものである訳ですから、冒頭に書いたのですが宗教ビジネスに走るでなく、聖職に従事する者として社会的弱者への対応というか、そうしたことをもっともっと積極的にやってほしいなと思います。
あらゆる欲望が視覚化され普通に生きていても過剰な刺激を受けてしまう、欲望の資本主義。性とお金と宗教、奥深い問題がありそうです。