心象風景・映像詩?もしくはSF映画?カラックスの「ホーリー・モーターズ」

映画「ホーリー・モーターズ」(2012年)

■製作年:2012年
■監督:レオス・カラックス
■出演:ドニ・ラヴァン、エディット・スコブ、カイリー・ミノーグ、エバ・メンデス、他

レオス・カラックス監督の「ホーリー・モーターズ」、この映画を見た後ですが、ジワジワと感じるのもが沸き上がってきて、すごい傑作を見たんではないだろうか?という感覚になってきます。映画ですが最近は、見た直後から映像の忘却が始まるのですが、この映画に関しては後からジワジワと映像が浮かんで来るという稀有な体験をさせてくれます。

一人の男がリムジンに乗ってパリの街を走り、その車の中で変装し様々な役を演じて見せていくという、単純なんだけどとても奇妙な映画。猿の家族がいて車同士が会話するというエンディング。それはなんだろう?ある種のコメディであり、考えさせられる哲学的映画であり、一粒で何度も美味しい玉手箱のような作品であり、カラックス監督の心象風景・映像詩のようでもある。もしくはSF映画なのかもしれない。もっと言えばこれは一篇の大きな冗談なのか?

そのとりとめのなさが見たあとに残る謎として、あるいは問いかけとして私の頭の中で映像が去来するのです。一体この映画は何だったのかと。

少なくともわかるのはこの主人公の男はカラックス監督の分身として映像の中に存在しており、彼は様々な人物を演じているということ。何かを演じるということについては、<見る側&見られる側>という関係性があるのですが、この設定にはカメラや観客がいるわけではなく、そうした見る立場のものはないということ。むしろ感じたい相手がいるということなのでしょう。

クライアントがいて、例えれば、クリスマスの日、誰が見ているわけではないが、サンタクロースに扮し子供達にプレゼントをあげることを頼まれるといったことに近いのかもしれません。ではクライアントは?何のために?猿の家族は?疑問は尽きなくなかなか腑に落ちない感覚なのですが、その腑に落ちないフワッとした曖昧模糊とした感覚こそが作品の逆の効用となっているように思えてなりません。

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