あの松本清張が結ぶ2つの巨石の謎、ゾロアスターの痕跡?

以前、奈良の飛鳥に行った時に、見落とした謎の巨石「益田岩船」に、関西行くのに合わせてそれを見に行った。なぜこのような場所に、こんなでかい石が?それも人の手が入っている。まず運ぶのは無理だろう。横転させる古墳説もあるけど、こんな場所で、こんな巨石、横転できないだろう。

先客でニューヨークのアート・キューレターが来ていた。岩船の巨石の上に瞑想していた。この後、東京でキューレションしたアート展示をするとのこと。思わぬ知的な外人と遭遇。ユーも石の上に上がれと。どっから上がるんだ?私、63歳で腰も痛い。ちょっとリスク大きいけど勢いで岩に登った。降りるのどうしらたいい?滑ればいい、と外人。

彼ら神秘的な石が好きだと。私も行くまでに道に迷ったのに、彼ら、よくここにきたな。ということで、謎の巨石「益田岩船」についての、仮説をいくつか。

●石碑の台石説
弘法大師の書による石碑を載せるための台であったとしている。「益田岩船」もこれに由来する。
●占星術用の観測台説
二つの穴に石柱を建て、その上に横柱を渡して天体観測したという説。
●火葬墳墓説
穴の中に遺骨を入れて石の蓋をするという説。
●物見台説
●横口式石槨説

現在有力視されているらしい。横穴式古墳として造られ、完成時には横転させ古墳石室とする。
●ゾロアスター教の拝火台説
松本清張が『火の路』でゾロアスター教が飛鳥に入っていたととなえた説。

そしてもう一つ、6年前に不思議な巨石を祀った神社があると、兵庫県高砂市の生石神社へ行った。それ石の宝殿と言われ、水の上に浮いているとされるもの。(実際は浮いていない、浮いているように見える)不思議な長方体の巨石がご神体で、何でこのようなものを作ったのか?と謎かけたくなる。

それと奈良・飛鳥の不思議な巨石「益田岩船」。

いずれの巨石、まず運搬は容易ではない、いずれも丘の斜面にあるので、無理では?と思う。そして、人の手がはいっており、自然の造形物ではない。一体何んのために?それとは知らず偶然なんだけど、この2つの巨石について、あの松本清張が結ぶ小説を書いていた。これも変な小説で、清張、得意な社会派サスペンスではない。清張曰く、小説に登場する自身の作である論文が主人公だと。つまり、松本清張は小説で、古代史の自説を展開しているのだ。それがメインなのだと。

それは「火の路」作品で、要するに飛鳥の謎の石像群を手掛かりに、古代日本にはイランで生まれた世界最古宗教と言われるゾロアスター教が、入って来ていて、石の宝殿、益田岩船、この2つの巨石は、その名残というのだ。飛鳥の地には、道祖神、二面石、猿石、亀石といったなんのために作ったのか不明な不思議な石があるんだけど、清張に言わせると、そうした不思議な石像物も、ゾロアスター教が入っていた痕跡なのだと。

このゾロアスター教は、善悪二元論で、拝火教とも呼ばれるように火を神聖視し、火を絶やすことがない。実際に奈良時代の仏教に影響を与えていることがわかっている。私たちが、何気に受け取っていることも、ゾロアスター教の影響を受けている。松本清張は、飛鳥の益田岩船のてっぺんの二つの穴は、拝火壇の穴で、高砂の石の宝殿の巨石も、飛鳥に移動させてゾロアスター教の拝火壇、神殿にしようとしたのだが、計画が頓挫し、そのまま放置されたものだと、小説「火の路」でその論を展開したのだ。

松本清張は、もう一つの不思議な模様が掘られた石、酒船石もゾロアスター教に関係する薬をつくるためのものだと、同じく小説で展開しているが、清張の死後、後になり、別の遺跡が発見され、酒船石は水の祭祀に使用されたものととみられ、清張説は成立しなくなったのだが・・・

古代のことだから、痕跡だけを見ていても実際どうだったのかは、本当のところはわからない。松本清張はゾロアスター教の痕跡だと、奇妙な小説になってまでして展開した自論は、作家の想像力の駆使が感じられて面白い。これがきっかけで、私なんとなくですが、ゾロアスター教ってどんな宗教だったのか?興味が湧いてきました。私の中で、全く別の興味の記憶が、線でつながるのはどても興味深いと思うのでした。

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